イラク日本人人質事件とは? わかりやすく解説

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イラク日本人人質事件

(イラク人質事件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 22:15 UTC 版)

イラク日本人人質事件(イラクにほんじんひとじちじけん)、イラク邦人人質事件(イラクほうじんひとじちじけん)は、2003年のイラク戦争以降にイラク武装勢力によりイラクに入国した日本人が誘拐され、人質として拘束された事件。特に2004年4月に3名が誘拐され、イラクに駐留する自衛隊の撤退などを求められた後、唐突に解放された事件[1]

武装勢力の要求

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した[2][3]。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった[4]

人質事件の詳細

2004年4月、3名、解放

以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。

  • 3月31日 - ファルージャで米国の傭兵4人が殺害された(en:2004 Fallujah ambush[5]
  • 4月6日 - 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する(en:Fallujah during the Iraq War[6]
  • 4月6日 - 外国人拉致事件の最初の事件が発生する(拉致されたのはイギリス人)。
  • 4月7日 - イラクで日本人3名(高遠菜穂子郡山総一郎、今井紀明)が「サラーヤ・ムジャーヒディーン」を名乗る武装集団によって誘拐される[7][8][9]
  • 4月8日 - カタールのテレビ局「アルジャジーラ」が武装集団から送られてきた映像を放送した[8]。武装集団は、「2つの選択肢がある。軍を撤退させるか、我々が3人を焼き殺すかだ」としてイラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した[8]。これに対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明[10]
  • 4月10日 - 小泉純一郎首相は、「テロには屈しない」として自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示した[11]。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された[12]。同日逢沢一郎外務副大臣や、塩川実喜夫警察庁警備局国際テロリズム対策課長らがヨルダンアンマンに入った[13]
  • 4月11日 - 武装集団からアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった[14][15]
  • 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装集団に拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された[16]。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
  • 4月14日 - 新たに、日本人2人(フリージャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた[17][18]。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された[19]
  • 4月15日 - 日本人3名はイラク・ムスリム・ウラマー協会の仲介もあり無事解放された[20][21]。解放された3名は「サラーヤ・ムジャーヒディーン・アンバール(アンバール県のイスラーム聖戦士軍)」と署名されていた声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
  • 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された[22]

余談

  • 高遠菜穂子はボランティアを目的として入国した[23][24]。高遠は2021年現在も中東支援のため、年のほとんどを中東各地で過ごしている。
  • 3人が解放後、日本政府を批判したり、飴玉を舐めながら取材を受けているなどのこともあり激しい批判がまきおこった[25]。映画『バッシング』(2005年)は3人を主人公として制作された。

2004年4月、2名、解放

イラク政府が主催した人間の盾に参加したフリージャーナリストの渡辺修孝、安田純平の日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された[26]。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された[27][28]

人質となった渡辺修孝は「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」とし、後に「自衛隊を撤退させなかった事」に対し500万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが敗訴[29]。また、解放後日本政府が負担した日本への帰国費用について、一切の支払いを拒否している。

2004年10月、1名、殺害

バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した男性が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」の声明がインターネットに公開された[30]。小泉首相は「自衛隊の撤退はしない。テロを許すことはできない。テロに屈することはできない」と表明した[31][32][33]

30日(日本時間31日)、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった[34][35][36]。遺族は「支えて頂いた多くの方々に、大変なご心労をおかけしましたことを心からお詫び申し上げますとともに、お礼と感謝の気持ちでいっぱいです。このようにはなりましたが、イラクの人たちに一日も早く平和が訪れますようお祈りいたしております」と言う声明を発表した[37][38][39]。そのため、最初の人質3人のような感情的なバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した[40][41][42]

2005年5月、1名、殺害

5月9日、イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイギリス民間軍事会社Hart Sequlity社職員の日本人、斎藤昭彦と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した[43][44][45]5月28日、武装勢力は齋藤の死亡をネットに発表した[46][47][48]。斎藤は傭兵としてイラクで活動していた[49][50]

日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった[51]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 3邦人解放 全員無事」『読売新聞読売新聞社、2004年4月15日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  2. ^ 米伊の6人拘束 武装勢力主張」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月10日。オリジナルの2004年6月24日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  3. ^ 外国人30人拘束武装勢力が主張」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月11日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  4. ^ アル・ジャジーラが報道した解放の3条件」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月12日。オリジナルの2004年7月28日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  5. ^ 米、遺体映像自制求める イラク襲撃」『東京新聞中日新聞東京本社、2004年4月1日。オリジナルの2004年4月9日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  6. ^ イラク戦闘 中南部に拡大 米軍、ファルージャ進攻」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月7日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  7. ^ 官邸、防衛庁・・・激震走る」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月9日。オリジナルの2004年6月11日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  8. ^ a b c 3邦人、イラクで人質」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月9日。オリジナルの2004年6月14日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  9. ^ 拘束の瞬間、目撃証言も」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月9日。オリジナルの2004年6月12日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  10. ^ 「テロには屈しない」政府、毅然と対処 国際支援の足並み維持」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月9日。オリジナルの2004年7月14日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  11. ^ 自衛隊撤退拒否、豪外相が評価」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月10日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  12. ^ 人質の家族、早期解決訴え」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月10日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  13. ^ 外務副大臣らが成田を出発/「手だて尽くし救出」」『四国新聞』四國新聞社、2004年4月9日。オリジナルの2025年3月27日時点におけるアーカイブ。2018年10月26日閲覧。
  14. ^ 3邦人解放を表明」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月11日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  15. ^ 「3人の解放、確認されず」…逢沢副大臣」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月11日。オリジナルの2004年6月12日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  16. ^ イタリアにも撤兵要求」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月14日。オリジナルの2004年6月9日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  17. ^ 邦人記者ら2人が新たに拉致の情報」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月15日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  18. ^ 2邦人拉致、確認急ぐ」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月15日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  19. ^ イタリア人人質1人を殺害、イラク武装勢力が声明」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月15日。オリジナルの2004年4月28日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  20. ^ 3邦人8日ぶり解放 全員無事」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月16日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  21. ^ 解放時「ここ本当にバグダッド?」」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月16日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  22. ^ 不明2邦人も保護」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月18日。オリジナルの2004年6月27日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  23. ^ 子供たちを救援 高遠さん」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月9日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  24. ^ 「イラク人支援、続けたい」 高遠さんが集会で心境語る」『朝日新聞朝日新聞社、2004年6月5日。オリジナルの2004年6月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  25. ^ ISILのテロで思い出される“イラク3馬鹿”の罪と現在(1ページ目) - デイリーニュースオンライン
  26. ^ また邦人か 混乱の夜」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月15日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  27. ^ 安田さん「何とお礼を」/父「殴ってやりたい」」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月18日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  28. ^ 安田さんら、目的地はファルージャ 政府関係者「あまりに無謀」」『読売新聞』読売新聞社、2004年4月19日。オリジナルの2004年6月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  29. ^ イラクで身柄拘束の渡辺さん、国を提訴 損害賠償求める」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年6月8日。オリジナルの2025年6月13日時点におけるアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  30. ^ イラクで日本人人質 自衛隊撤退を要求」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年10月27日。オリジナルの2004年10月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  31. ^ 小泉首相「撤退応じない」」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月27日。オリジナルの2005年3月12日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  32. ^ 自衛隊撤退すべきではない…民主が緊急対策会議」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月27日。オリジナルの2004年10月27日時点におけるアーカイブ。2025年6月2日閲覧。
  33. ^ 自衛隊撤退せぬと首相、アンマンに谷川外務副大臣派遣」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月27日。オリジナルの2004年10月29日時点におけるアーカイブ。2025年6月2日閲覧。
  34. ^ ◯◯さんか 遺体発見 身体特徴が一致」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年10月30日。オリジナルの2004年10月31日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  35. ^ ◯◯さん遺体で発見 日本人人質初の犠牲 政府確認」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年11月1日。オリジナルの2004年11月4日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  36. ^ ◯◯さん殺害、ネットで犯行声明 ビデオ映像流す」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年11月2日。オリジナルの2004年11月4日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  37. ^ 「イラクの平和願っています」…◯◯さんの家族が談話」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月31日。オリジナルの2004年10月31日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  38. ^ 願い届かず、最悪の結末…両親や関係者ら言葉失う」『読売新聞』読売新聞社、2004年11月1日。オリジナルの2004年11月1日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  39. ^ 「一日も早くイラクに平和を」◯◯さん家族がメッセージ」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年10月31日。オリジナルの2004年11月2日時点におけるアーカイブ。2025年3月27日閲覧。
  40. ^ ◯◯さん遺体がクウェート出発、今夜福岡」『読売新聞』読売新聞社、2004年11月3日。オリジナルの2004年11月3日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  41. ^ 「◯◯さん、誰にでも優しかった」友人ら語る」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年11月1日。オリジナルの2004年11月1日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  42. ^ ◯◯さん遺体で発見 指紋一致、政府が確認」『中日新聞中日新聞社、2004年11月1日。オリジナルの2004年11月5日時点におけるアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  43. ^ イラクで日本人拘束 武装勢力が犯行声明」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年5月10日。オリジナルの2005年5月11日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  44. ^ 斎藤昭彦さんの旅券番号と確認 イラク邦人拘束で外務省」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年5月10日。オリジナルの2005年5月11日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  45. ^ 斎藤さんの安否依然不明、米軍はテロ掃討作戦」『読売新聞』読売新聞社、2005年5月11日。オリジナルの2005年5月13日時点におけるアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  46. ^ イラク武装組織、斎藤さん「死亡」声明…ネットに映像」『読売新聞』読売新聞社、2005年5月28日。オリジナルの2005年5月29日時点におけるアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  47. ^ イラク武装組織、「斎藤さん死亡」と声明 ネットに映像」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年5月28日。オリジナルの2005年11月28日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  48. ^ 斎藤さん、襲撃直後に死亡か 武装組織が新たな声明文」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年5月28日。オリジナルの2005年5月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  49. ^ ネット映像の男性、斎藤さんとほぼ断定」『読売新聞』読売新聞社、2005年5月28日。オリジナルの2005年5月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  50. ^ イラク拘束 斎藤さん『相当な重傷』 警備会社に目撃者情報」『東京新聞』中日新聞東京本社、2005年5月12日。オリジナルの2005年5月13日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。
  51. ^ 斎藤さん『死亡』映像 政府『本人と判断』 最終確認は出来ず」『東京新聞』中日新聞東京本社、2005年5月29日。オリジナルの2005年5月31日時点におけるアーカイブ。2025年3月28日閲覧。

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