2004年4月、3名、解放とは? わかりやすく解説

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2004年4月、3名、解放

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:29 UTC 版)

イラク日本人人質事件」の記事における「2004年4月、3名、解放」の解説

以下の出来事全て2004年のものであるまた、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項解説)の出来事も含む。 3月31日 - ファルージャ米国傭兵4人が殺害された(en:2004 Fallujah ambush)。 4月6日 - 米軍報復としてファルージャ攻撃開始するen:Fallujah during the Iraq War)。 4月6日 - 外国人拉致事件最初事件発生する拉致されたのはイギリス人)。 4月7日 - イラク日本人3名(高遠菜穂子郡山総一郎今井紀明)が武装勢力によって誘拐される。 4月8日 - カタールテレビ局アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像放送した犯行グループは、イラクサマーワ駐留している自衛隊撤退要求する声明発表した犯行グループからの要求対し日本政府自衛隊撤退させる考えのないことを表明4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊撤退する意思がないことを明らかにするとともに人質の救出日本政府として全力をあげるよう指示出したまた、人質となった日本人3人の家族東京アルジャジーラ取材応えて人質解放訴え、その映像中東全域放送された。同日逢沢一郎外務副大臣や、塩川実喜夫警察庁警備局国際テロリズム対策課長らがアンマン入った4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会求め応えて3人の日本人24時間以内解放する」との内容ファックスによる声明届き日本では一時楽観ムード漂ったが、期限内の解放実現されなかった。 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループ拘束され自衛隊続いてイタリア軍に対してイラクから撤退要求された。この間外国人人質事件が相次ぎ占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質捕われとされる4月14日 - 新たに日本人2人自称ジャーナリストNGO団体職員)がバグダード西方何らかの武装勢力により連れ去られた。一方イタリアシルヴィオ・ベルルスコーニ首相日本小泉首相同様に撤兵断固として拒否する声明出していたが、イタリア人人質1人殺害公表された。 4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループ声明文所持していた。なお、後に解放仲介をしたとされる地元有力者殺害されている。 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人バグダード市内モスク解放された。

※この「2004年4月、3名、解放」の解説は、「イラク日本人人質事件」の解説の一部です。
「2004年4月、3名、解放」を含む「イラク日本人人質事件」の記事については、「イラク日本人人質事件」の概要を参照ください。

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