アメリカの対中米政策とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アメリカの対中米政策の意味・解説 

アメリカの対中米政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 02:43 UTC 版)

ニカラグア事件」の記事における「アメリカの対中米政策」の解説

コントラ戦争」も参照 1959年キューバ革命成功により中米地域は冷戦下東西対立構造中に組み込まれていくことになり、この地域においては親ソ勢力排除することがアメリカ政策上のとなった。特に反米的な勢力政権の座についたり、そのような可能性がある場合にはアメリカはこの地域に対して軍事力行使することすらためらわなかった。こうしたアメリカ動きは、例えソ連キューバにおけるミサイル配備計画発覚キューバ危機)に続くキューバ敵視政策1965年ドミニカ共和国占領1983年グレナダ侵攻などにみられるニカラグア革命後のニカラグアに対して同様にアメリカ親ソ勢力排除目的とした介入おこなった1979年ニカラグア43年間にわたり支配してきたソモサ政権武力により反政府組織サンディニスタ民族解放戦線打倒され新たな左翼政権樹立された(ニカラグア革命)。アメリカ合衆国経済援助を行うなど新政権に対して当初友好的であったが、新政権西側諸国との関係を築いていく一方でキューバはじめとする共産圏との関係も緊密にていった1981年発足したアメリカレーガン政権サンディニスタ民族解放戦線周辺諸国反政府組織武器弾薬などの供与しニカラグアソ連米州進出麻薬取引テロリズム拠点になっているとの理由でこれを米州全体脅威とし、経済援助停止して次第ニカラグア反政府武装組織コントラ支援するようになったコントラホンジュラスコスタリカとの国境地帯基地設けて活動し1980年代半ばには約1万5千人兵力有するほどまでに拡大したニカラグアが後に国際司法裁判所主張したところによると、アメリカコントラ人員募集武器供与訓練など行いニカラグア攻撃させてニカラグア市民損害与えたほか、中央情報局CIA)の職員ニカラグア港湾施設機雷敷設して第三国船舶にまで損害与えたり空港石油施設への攻撃偵察飛行領空侵犯行ったという。1984年3月ニカラグアアメリカによる一連の行動を「侵略」であると主張し国連安保理提訴しアメリカ非難する決議案提出したが、この決議案4月4日安保理理事会にてアメリカ拒否権行使によって否決された。この決議案に対して反対票を投じたアメリカ投票棄権したイギリス除きすべての理事国賛成票を投じていた。

※この「アメリカの対中米政策」の解説は、「ニカラグア事件」の解説の一部です。
「アメリカの対中米政策」を含む「ニカラグア事件」の記事については、「ニカラグア事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アメリカの対中米政策」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アメリカの対中米政策」の関連用語

アメリカの対中米政策のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アメリカの対中米政策のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのニカラグア事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS