アミール・アル・ムウミニーンとは? わかりやすく解説

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アミール

(アミール・アル・ムウミニーン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 15:08 UTC 版)

アミールアラビア語: أميرamīr)は、イスラム世界で用いられる称号である。君主号の一つとしても用いられる。

概要

アラビア語で「司令官」「総督」を意味する語で、転じてイスラム世界で王族、貴人の称号となったものである。英語表記のEmir からエミールと書かれることもある。元来はムスリム集団の長の称号として用いられ、カリフは「信徒たちの長」を意味するアミール・アル=ムウミニーン英語版Amīr al-Mu'minīn)とも称し、正統カリフ時代には遠征軍の長、征服地の総督がアミールと称した。ヨーロッパなどにおける「公国」「大公国」にあたる。

歴史

アッバース朝時代の10世紀前半にアミールの中の有力な者が大アミールAmīr al-Umarā)の称号を授与されるようになり、ワズィール宰相)とハージブ(侍従)を統括し、カリフに代わって権力を掌握した。後に大アミールの称号はブワイフ朝に世襲された。ブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝は大アミールに代わってスルターンの称号を受け、アミールの称号はマムルークを統括し、時に地方総督となる将軍級の軍人の称号となった。

一方、アラビア半島アラブ人中央アジアテュルク人の間ではアミールの称号が部族の長の称号として広く用いられるようになり、ブハラ・ハン国末期の君主やアフガニスタン・イスラム首長国ターリバーン政権)の長であったムハンマド・オマルがアミールの称号を名乗っていた。モロッコアラウィー朝、アフガニスタンのバーラクザイ朝ドースト・ムハンマド・ハーンやターリバーン政権のムハンマド・オマルは、上述のアミール・アル=ムウミニーンを名乗ったことで知られているが、特にオマルの場合ウマル・イブン=ハッターブ以来カリフの主要な称号だったこのアミール・アル=ムウミニーンを名乗ったことで、オマルはマドラサの教育を修了しておらず、宗教的な勧告(ファトワー)を発する権限は持たないにもかかわらず、カリフを僭称するのは冒涜的行為であると各国のスンナ派信徒から甚だしい非難を浴びていた。

ムラービト朝

イベリア半島北アフリカマグリブ)、西アフリカを支配したムラービト朝においてはアッバース朝の権威を認めながらもアミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの長)と類似した「ムスリムたちの長」を意味するアミール・アル=ムスリミーンを用い、その後ムラービト朝に対して反乱を起こしたムワッヒド朝は自らをカリフになぞらえてアミール・アル=ムウミニーンを称した。

モンゴル帝国

モンゴル帝国においてはチンギス一門に譜代の家臣として仕え、帝国や帝国を形成する諸ウルスの政策決定に与る幹部武将をモンゴル語ノコルnökör)と呼んだが、これをペルシア語史料ではアミール・イ・ブスルグAmīr-i buzurg)や省略形で単に「アミール」と表記している。当時のモンゴル語では、チンギス・ハン王家に関わる役職や事柄には語頭に「大」(イェケ)を付けて他の一般的な事柄とは区別していた。ペルシア語文献ではこれにあたる単語を上記のブズルグ(buzurg)やアラビア語のアアザム(a'a ẓam)、ムウタバル(Mu'tabar)などの単語で表した。ペルシア語のこのアミール・イ・ブスルグを語義通りに「偉大なるアミール」や普通のアミールと解釈し、単なる武人の長を指す「アミール」と混同してしまうと、モンゴル帝国やその後継政権の政権構造の理解を妨げるので注意が必要である。

また、モンゴル帝国に参与していた諸部族の首長たちは、モンゴル語やテュルク語ではノヤンnoyan)やベクbek/beg)と称していたが、これらのアラビア語・ペルシア語での訳語がアミールであった。いわゆるチンギス・ハンの千戸体制において、十戸から万戸までの部隊を各々統括していた隊長たちがベクでありその訳語であるアミールで呼ばれていた。すなわちペルシア語では、これら十戸長をアミール・イ・ダハAmīr-i dahah)、百戸長アミール・イ・サダAmīr-i ṣadah)、千戸長アミール・イ・ハザーラAmīr-i hazārah)、複数の千戸を統括する万戸長アミール・イ・トゥーマーンAmīr-i tūmān)といった具合に呼んでいた。ティムール朝を開いたバルラス部の首長であるティムールは「アミール・ティームール・クールガーン」などと称されるが、その場合もまたこの種のモンゴル帝国の制度的意味の上に立脚したアミールである。

現代

現在では、クウェートカタールアラブ首長国連邦の構成国の諸君主がアミールを称号としており、首長とも訳される。アラブ首長国連邦の構成国にはハーキムحاكم、英語では"ruler")を用いている国もある。かつては「土侯」と訳されたこともあったが侮蔑的であるとして使われなくなった。また中国語では「酋長」と訳されている。バーレーンの元首はかつてはアミールを名乗っていたが、2002年以降は国王(マリク)を称している。アミールが支配する国(إمارة イマーラ)は「首長国」(英語では"Emirate")と訳されている。ただし、カタール及びクウェートの場合は"دولة"ダウラ「国」(英語では"State")が用いられている。モロッコの国王は「マリク・アル・マグリブ(アラビア語: ملك المغربマグリブの王)」を称しているが、アラウィー朝の君主は代々アミール・アル=ムウミニーンを称しており、1980年代以降は宗教的な場でアミール・アル=ムウミニーンを強調して用いている[1]

現在のアミール

国連加盟国の国家元首としてのアミール

  • 即位年順
名前 年齢 即位年
ムハンマド6世 モロッコ 61歳 1999年7月23日
タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー カタール 44歳 2013年6月25日
ミシュアル・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ クウェート 84歳 2023年12月16日 

国連加盟国を構成する地域のアミール

構成領邦名 名前 備考
アラブ首長国連邦 アブダビ ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン アブダビのアミールはアラブ首長国連邦成立以来、連邦大統領を兼ねる
アラブ首長国連邦 ドバイ ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム ドバイのアミールはアラブ首長国連邦成立以来、連邦副大統領と首相を兼ねる

国家に準じる政府のアミール

アフガニスタンのほぼ全域を統治下においているアフガニスタン・イスラム首長国は2025年時点ですべての国際連合加盟国から国家の承認を受けていない。国際連合における代表権はアフガニスタン・イスラム共和国政府が保持している(アフガニスタン・イスラム首長国の国際的承認英語版)。アフガニスタン・イスラム首長国政府は実質的なターリバーンの政権であり、アミール・アル=ムウミニーンの称号はムハンマド・オマル以来継承されている。

名前 年齢 即位年
ハイバトゥラー・アクンザダ アフガニスタン 63歳 2021年8月15日

影響

以上のようにアミールとは基本的にイスラーム社会、あるいはイスラーム社会を包摂した世界における軍司令官などの呼称であるが、イスラム世界から一定の影響を受けたヨーロッパ世界でも、アミールに由来する語彙の存在が認められる。例えば、英語で海軍提督(狭義には海軍大将、広義には海軍の大将・中将少将准将までの将官全体を指す)を意味するAdmiral(アドミラル)は、アラビア語で「海の司令官」を意味するアミール・ル・バハルに由来する。

脚注

  1. ^ 中川恵「中東の権力構造--19世紀から21世紀のモロッコを事例として」『經濟論叢』第176巻第3号、京都大學經濟學會、2005年、120頁、doi:10.14989/66316ISSN 00130273NAID 40007474063 

カリフ

(アミール・アル・ムウミニーン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 03:20 UTC 版)

アッバース朝カリフのイメージ(第5代ハールーン・アッ=ラシード
イスラム世界で承認された最後のカリフ、アブデュルメジト2世

カリフ英語: Caliph)あるいはハリーファアラビア語: خليفة‎, khalīfah ないしは khalīfa )は、預言者ムハンマド亡き後のイスラーム共同体イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号である。

概要

原義は「後継者」であり、預言者ムハンマドを代理する者という意味である。

イスラーム共同体の行政を統括し、信徒にイスラームの義務を遵守させる役割を持つ。あくまで預言者の代理人に過ぎない存在であるため、イスラームの教義を左右する宗教的権限やクルアーン(コーラン)を独断的に解釈して立法する権限を持たない。これらは、ウラマーたちの合意によって補われる。

カリフの条件

スンナ派イスラーム法学者によれば、一般にカリフの資格として求められるのは次のような条件である。

  • 男性であること
  • 自由人であること
  • 成年者であること
  • 心身両面で健全であること
  • 公正であること
  • 法的知識を持つこと
  • 賢明であること
  • イスラームの領土の防衛に勇敢かつ精力的であること
  • クライシュ族の男系の子孫であること

ただし現実には、これらの条件のいくつか(成年者であることなど)はしばしば無視された。例えばオスマン帝国はテュルク系の部族によって設立された王朝であるためムハンマドの部族であるクライシュ族の男系であることはありえない。またハワーリジュ派ムータジラ派は「たとえ奴隷や黒人であっても」全てのイスラーム教徒がカリフたりうると主張した。

歴史

初期のカリフ

西暦632年にムハンマドが死去した後、イスラーム共同体の指導者としてアブー・バクルが選出され「使徒代理人」(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)を称したことに始まる。

2代目のカリフとなったウマルは「信徒たちの長」(アミール・アル=ムウミニーン)という称号を採用し、カリフの称号とともに用いられるようになった。

その後、ウスマーンアリーに受け継がれ、ウマイヤ朝アッバース朝に世襲されてゆく過程でハワーリジュ派シーア派などがカリフの権威を否定して分派し、従うのはスンナ派のみになった。

カリフの失墜

その後10世紀にアッバース朝のカリフがアミールに政権を委ねるようになるとカリフは実権を失った。

アミールやスルタンの支配権を承認し、代わりに庇護を受け入れるだけの権威に失墜した。
さらにファーティマ朝後ウマイヤ朝もカリフを称するようになって、スンナ派全体に影響力を及ぼすことさえ出来なくなった。

1258年にはモンゴル帝国によってアッバース朝のカリフが見せしめとして処刑され、アッバース朝は滅亡したものの、マムルーク朝は生き残ったアッバース家の者を首都カイロに迎え新たにカリフとして擁立し、外来者であるマムルーク出身のスルタンに支配の正当性を与える存在として存続させた。(カイロ・アッバース朝

1517年、マムルーク朝がオスマン帝国に滅ぼされると、カイロ・アッバース朝のカリフムタワッキル3世は廃位された。

オスマン朝におけるカリフ

オスマン朝は当初、カリフ位の権威に頼らずとも実力をもってスンナ派イスラム世界の盟主として振舞うことができた。

しかし、18世紀の末頃から19世紀にかけて、ロシアなどの周辺諸国に対する軍事的劣勢が明らかになると、オスマン帝国内外のスンナ派ムスリムに影響を及ぼすために、カリフの権威が必要とされるようになった。

そこで、16世紀初頭にオスマン帝国のスルタンはアッバース家最後のカリフからカリフ権の禅譲を受け、スルタンとカリフを兼ね備えた君主であるという伝説が生まれた(スルタン=カリフ制)。

最後のカリフ

オスマン帝国の滅亡によって、オスマン家のスルタン=カリフは1922年に退位し、スルタン制が廃止された。

インドや中央アジアのムスリムやクルド人は、精神的支柱としてのカリフ制の存続を強く望んでいたが、ムスタファ・ケマル・アタテュルクによって1924年にカリフ制も廃止英語版された。
アブデュルメジト2世がイスラム世界で承認された最後のカリフとなる。

近代のカリフ自称者

同年1924年、預言者ムハンマドに連なるハーシム家出身であったヒジャーズ王国の王であるフサイン・イブン・アリーがカリフを名乗ったが、オスマン帝国最後の皇帝メフメト6世[1]以外に目立った支持者はなくイスラム世界で広く承認されることはなかった。

その後はユースフ・アル=カラダーウィー[2]ら一部のイスラム主義者によりカリフ制の復活が唱えられたが、イスラム社会からは認められていない。現在、カリフ制統一国家樹立を目指す汎イスラーム主義的国際政治組織としてヒズブ・タフリールが存在する。イスラーム改革派「アフマディーヤ」は、カリフ制をとっている。

2014年には、イラクシリア両国にまたがる地域を掌握した過激派組織ISILが、支配地域における国家としての独立と指導者のアブー・バクル・アル=バグダーディーのカリフ即位を宣言した。これに対してはカラダーウィーがカリフ即位宣言は無効であると表明する[2]など、この即位についてイスラム社会を含め国際社会で承認する動きはなく、バグダーディー自身も2019年10月に米軍によって殺害された。バグダーディーの死後、アブイブラヒム・ハシミが第2代カリフとなったが、これも国際社会から承認されることはなく、2022年2月に米軍に殺害された。ISILはその後もカリフが死ぬ度に後継となるカリフを発表しているが、これも殆ど承認されていないのが現状である。

脚注

出典

  1. ^ Teitelbaum, Joshua (2001). The Rise and Fall of the Hashimite Kingdom of Arabia, p.240, London: C. Hurst & Co. Publishers. ISBN 978-1-85065-460-5
  2. ^ a b 村上大介 (2014年7月8日). “イスラム国「カリフ制宣言」 反発浴びつつアラブの春の幻に代わる恐れも”. 産経新聞. オリジナルの2014年8月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140813213120/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140708/mds14070813050006-n1.htm 2014年8月13日閲覧。 

関連項目




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