アフリカの角の軍事史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:29 UTC 版)
「アフリカの軍事史」の記事における「アフリカの角の軍事史」の解説
アフリカの角は紅海、アラビア海、インド洋に面している。このように西アジア地域、特にアラビア半島、近東、さらにはインド亜大陸の極東地域であっても、長い間相互交流が行われてきた。沿岸の平地は山脈に囲まれているため、大規模な軍隊の移動を困難かつ煩雑にしており、レジスタンス活動を行う地元の軍にとっては恵まれていた。 エチオピアやソマリアのような古代の歴史を持つ国や地域にはすべて、偉大な帝国時代が存在した。様々な古代帝国(アクスム王国(紀元前4世紀–10世紀)、ザグウェ朝(10世紀 - 1270)、ソロモン朝(1270–1974)、アダル・スルタン国とアジュラン・スルタン国など)は角地域の大部分における勢力の強化・拡大してきた。 ソマリアの多くのスルターンは各々が正規軍を保有していた。20世紀初頭にMajeerteen Sultanate, Sultanate of Hobyo, Warsangali SultanateとDervish Stateはスルターン戦役中にヨーロッパ勢力に対する戦いで騎兵を採用した。 エチオピア兵は第一次エチオピア戦争(1889~1896)中のアドワの戦いでイタリアに決定的な勝利を収めた。イタリアはその後の第二次エチオピア戦争(1935~1936)でエチオピア相手に勝利するがエチオピアを植民地化することはできなかった。エチオピアにおける5年間のイタリアの存在は占領と考えられており、イタリアは首都のアディスアベバのみ完全に統制できただけであったが、エチオピアの愛国者からの継続的な攻撃を受けていた。 20世紀には第二次世界大戦が起き、イタリアは東アフリカ戦線で戦ったが、イタリアの司令官アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタは1941年に降伏することを強いられた。ドイツとイタリア両方がイギリスとその同盟国によって敗北した。 20世紀後半ではエチオピア内戦(1974–1991)、オガデン戦争(1977–1978)、エリトリア独立戦争(1961–1991)及びエチオピア・エリトリア国境紛争(1998–2000)などの戦争がこの地域で起きている。社会主義時代にソマリアは、ソ連との友好的な関係であり、その後は米国とのパートナーシップのために、大陸で最大の軍隊を持っていた。その後の1991年のソマリア内戦の勃発はソマリア軍(SNA)の解散につながったが、2004年のソマリア暫定連邦政府(TFG)の創設と共に軍隊は徐々に再構築されていった。
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