1998 – 2000
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「ライリーアンドスコット・Mk III」の記事における「1998 – 2000」の解説
1998年シーズンはMkIIIが開花した年だった。ダイソンレーシング以外に、マシューズ-コルッチレーシング、インタースポーツレーシング、トランスアトランティックレーシングが加わり、IMSA GTだけでなく、新たに米国ロードレーシングチャンピオンシップ(USRRC)も開催された。ライリーアンドスコットはUSRRCで3年連続でデイトナ24時間レースに勝つことは出来なかったが、ダイソンレーシングは次の3レースに勝ち 、チームチャンピオン、フォードのメーカーチャンピオン、ジェームズウィーバーのドライバーズチャンピオンを獲得した。 IMSA GTでは、ダイソンが3つのレースで優勝し 、ブッチライツィンガーで2年連続のドライバーズチャンピオンと、フォードのコンストラクターズチャンピオンを獲得したが、ドイルリシ・レーシングがチームチャンピオンシップを獲り、ダイソンは2位だった。ライリーアンドスコットの4回目の優勝は、 BMWがサポートするイタリアのチーム、ラファネッリによって達成された。このチームはヨーロッパの国際スポーツレーシングシリーズ(ISRS)でMk IIIを使用し、ライリーアンドスコットヨーロッパがサポートする3チームの1つでもあった。フランスのソリューションFチームは、南アフリカ、キャラミ で北米以外で初優勝し、チームチャンピオンシップは3位になった。 1999年、ライリーアンドスコットは改良版のMk III シリーズ2を発売し、USRRCでマシンはすぐにデイトナ24時間レースで優勝した。USRRCシーズンは3レースが行われたが、シーズンの残りがキャンセルされたため、ダイソンのドライバーであるブッチ・ライツィンガーとエリオット・フォーブス・ロビンソンがチャンピオンになった。 IMSA GT選手権も、この年からアメリカン・ルマン・シリーズ(ALMS)に置き換えられた。ダイソンはALMSの開幕戦、セブリング12時間レースで、優勝したBMWモータースポーツからわずか9秒遅れだった。チーム・ラファネリはこれに続いて、次のロードアトランタで勝利した。 ALMSシーズンの残りはBMWとパノスが支配したが、ダイソンレーシングの安定したフィニッシュにより、エリオット・フォーブス・ロビンソンがUSRRCに続きドライバーズチャンピオンを獲得した。 北米以外では、MkIIIはあまり成功できなかった。ISRSはスポーツ・レーシング・ワールドカップ(SRWC)に改名されたが、ターゲット24、ソリューションF、RWSモータースポーツはいずれもレースに勝つことができなかった。ソリューションFは、ル・マン24時間レースで、日本のオートエグゼ・チーム(オートエグゼ LMP99と改名)として、他の2台のMkIIIと参戦した。しかし、わずか74周で3台すべてがリタイアした。 オートエグゼのLMP99はルマン・富士1000kmにも参戦。しかしレース中に燃料切れを起こしリタイアした。 2000年、ライリーアンドスコットは、ゼネラルモーターズと提携してMkIIIから新型キャデラック・ノーススター LMP(英語版)プログラムに移った。その為Mk IIIのアップグレードがほとんど無かったが、マシンは依然として強力だった。 USRRCが解散した後、ロレックス・スポーツカー・シリーズが結成された。ダイソンレーシングはロレックスシリーズに参戦したが、ジャッドV10エンジンを搭載したMk IIIを使用した新チームのロビンソンレーシングは、第2戦で優勝することができた。ロビンソンはさらに勝利が追加したが、シーズン後半、ダイソンの4回の勝利により、チームチャンピオンシップを再び獲得し 、ジェームズウィーバーはドライバーチャンピオンシップを獲得した。 ロビンソンレーシングは、チームチャンピオンシップで3位になった。 ALMSでは、ダイソンは参戦しないことを選択し、ドイツのポールチームがライリーアンドスコットの参戦チームだった。チームの最高の結果は8位フィニッシュだったが、ヨーロッパラウンドの後、チームはシーズンの残りの期間、参戦しないことを決めた。SRWCでは、2つのイタリアチームがライリーアンドスコットで参戦した。ジャッドV10エンジンを使用するR&M Mk IIIは、ホームレースのモンツァで優勝した 。しかし残りのシーズンは信頼性の問題により、チームチャンピオンシップで5位になった。
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