アカデミズムとの対立と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:08 UTC 版)
「筆触分割」の記事における「アカデミズムとの対立と評価」の解説
印象主義が広範に知れ渡る19世紀半ばにおいて、ルネサンス期の巨匠ラファエロの伝統を重んじる古典主義が、公式のサロンを開催するフランス美術アカデミーが提示した美術の定義であった。その中身とは、題材や構図などを理想的な美を模倣することによって成立する形式主義であり、遠近法に基づいた空間表現や素描の訓練による緻密な人体表現が好まれた。対象の描き方に至ってもなるべく筆跡を残さない術らかな仕上げが古典主義の技法であり、筆触分割という技法はこのような新古典主義に支えられるアカデミズムの規範を大きく逸脱するものであり、印象派の作品がフランス美術アカデミーの運営するサロンにおいて受け入れられることは少なかった。同時に批評家からは、仕上げの不足、粗雑、あげくの果ては技能が欠如していると見做された。モネやルノワールが中心となり有志が集まって開催された第1回印象派展に展示されたモネの『印象-日の出-』について批評家のルイ・ルロワは、フランスの風刺新聞「ル・シャリヴァリ」に掲載された「印象派の展覧会」と題された戯文形式の批評文のなかで、 そしてなんと自由に、何と気軽に描かれていることでしょう!まだ描きかけの壁画でもこの海景画よりはもっと仕上がってますよ! と酷評した。印象派という呼称が生まれたころは、筆触分割を用いて描かれる絵画はスケッチのような粗暴であると批評された。さらに、続く第2回展にて展示された作品とその中のルノワール作『陽の光の中の裸体』についてアルヴェール・ヴォルフは、 彼らはすなわち、カンヴァスを用意し、絵の具を塗り、筆を走らせ、いくつかの色調をでたらめにおいて、サインして終わりといった具合だ...。あるいは、ルノワール氏に説明してみてもらいたい。女性のトルソは死体が完全に腐敗している状態を表すかのような、緑や紫の斑点により分解されつつある肉体の塊ではないのだと!...。 と、『ル・フィガロ』というフランスの日刊紙にて掲載された記事の中で記述している。このように、印象主義運動が始まった当時、筆触分割にでもって描かれた絵画には否定的な意見が多かった。だが、筆触分割による色彩表現に対して否定的な見方もある一方、同じく第2回展の際、ルイ・エドモン・デュランティは印象派の理念を正確に指摘し、筆触分割という技法について以下のように称賛している。 直感を積み重ね、彼らは少しずつ、太陽光を光線や構成要素へと分解し、スペクトルの色彩を全体に調和をとりながらカンヴァスの上に置いていくことによってこの全体的光をみごとに再構成したのである。
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