アカデミズム以外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 00:27 UTC 版)
「ライオネル・ロビンズ」の記事における「アカデミズム以外」の解説
ロビンズの活躍はアカデミズムの世界の外にも及んだ。1941年にはウィンストン・チャーチル戦時内閣の内閣官房の経済部門の局長となり、戦時下の経済運営と戦後の計画の責任者となった。この間1943年にはホット・スプリングス会議、1944年にはブレトンウッズ会議のそれぞれイギリス代表に参加し、戦後の国際経済秩序の確立に関わった。次いで1945年には米英金融協定の交渉に携わった。 1945年に政府のポストを離れLSEに戻ったが、1961年にはLSEの経済学部長を辞職して再び政府に参画することになる。今度のポストは高等教育に関する委員会の委員長であり、1964年までこの職に留まった。1963年には高等教育に関するロビンズレポートを提出し、大学教育の拡大を提言した。またこれに関連して1968年には大学教育の拡充政策の一環として新たに設けられたスターリング大学の学長に就任した。 この他の学外での活動としてはナショナル・ギャラリーの評議員(1952年 - 1974年)、テート・ギャラリーの評議員(1953年 - 1959年, 1962年 - 1967年)、ロイヤル・オペラ・ハウスの理事(1955年 - 1980年)が挙げられる。さらに本業では1954年から1955年に賭けて王立経済学会の会長を、1962年から1967年にかけてブリティッシュ・アカデミーの会長を務めた。85歳没。
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