アカデミックな批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:50 UTC 版)
「ヴィヴェーカーナンダ」の記事における「アカデミックな批評」の解説
これまで主に、ヒンドゥー教を古代ヴェーダーンタ思想に依拠する優れた世界宗教として称賛する、愛国主義的な宗教改革者として評価されてきた。人類学者の杉本良男は「ヴィヴェーカーナンダはインドのヒンドゥー教にとって内部からは異物、外部からその代表と見られる特異な、しかし近代非西欧世界ではある種典型的な役回りを演じた人物」であり、彼の改革ヒンドゥー教は「政治的、知的な植民地支配をうけたエリートが、キリスト教をモデルにしてみずからの『宗教』の再定義をへてその内部からの改革をめざす宗教ナショナリズムのひとつの典型」と解説している。ペンシルバニア大学のウィルヘルム・ハルプファスは、ヴィヴェーカーナンダは西洋世界における確認や承認の探求を活動の中心的モチーフにしていたとし、彼のインド思想への理解は複雑なヴェーダーンタ思想の体系を「表面的に定型化し」たものにすぎず、その基本的な概念も「物質的な西洋とスピリチュアルな東洋」の対立図式であると、やや厳しい評価をしている。インド近代史研究家のビパン・チャンドラ(Bipan Chandra)は、近代インドの宗教改革運動者は、古代インドに黄金時代を見出して過剰に賛美することで、インド人の理性的・科学的思考を後退させ、近代科学の全面的な受容や現状の改善を妨げたが、ヴィヴェーカーナンダも同様だったと評している。彼の思想がヒンドゥー至上主義の理念を支えるものとして利用されてきたという面も認められる。 一方ベンガル・ルネッサンスを研究するデイヴィッド・コフ(David Kopf)は、西洋近代と土着インドといった図式的な対比が、ベンガル・ルネッサンスの試みを多面的に理解することを阻み、その普遍主義的側面を軽視させていると単純な見方に注意を促し、「文化ナショナリストとして言及されるヴィヴェーカーナンダでさえも、もともとは、宗教的・文化的統合の基盤としてのネオ・ヴェーダーンタを、世界に提示したのである」と語っている。また、南アジアを研究する文化人類学者の外川昌彦は、「ただ過去の栄光を讃えるだけの復古主義には還元できない懐の深さを持っていた」とし、ビパン・チャンドラの指摘はヒンドゥー教改革運動の一つの基調として有意義ではあるが、ヴィヴェーカーナンダについては検証の余地があると述べている。 このように、ヴィヴェーカーナンダの思想や実践への視点、解釈、評価は多様であり、従来の見方や評価を脱しようとする研究もみられる。最近では、彼のヴェーダ聖典や古典哲学理論の解釈に問題が多いことも指摘されている。
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