アイデアの実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 01:31 UTC 版)
「ウィリアム・スチュワート・ハルステッド」の記事における「アイデアの実践」の解説
1880年、ニューヨークに戻り、複数の病院で手術を行う訪問医を務める一方で、早速様々なアイデアを実行に移した。ベルビュー病院では、消毒の無菌空間を作るためにテントを張る事を提案した。この提案には当時10,000ドルかかった。 また、ハルステッドは講義も担当したが、古典的な教授方法を改めるために教室を改造し、クラスのトップにいる生徒のために、理論と組み合わせた実践的な体験のできるような空間に変えた。このため、ハルステッドは非常に人気がありカリスマ的な教師となった。 1882年、アメリカで最初の胆嚢手術を行った。患者は自身の母親で、実家の台所のテーブルで7つの胆石を取り除いた。また、妹が出産による失血で瀕死状態だったため、自分の血を抜き、妹に輸血をした。これがアメリカで最初の緊急輸血だった。 同じく1882年、ルーズベルト病院(英語版)でアメリカで最初の乳癌に伴う「根治的乳房切断術(英語版)(ハルステッド手術、ハルステッドの術式)」を実施した。ハルステッドは癌が血流を介して転移するという考えを持っていたので、腫瘍を十分に局所的に除去する事で癌が治癒すると考えていた。この手術法は1世紀前にフランスのバーナード・ペイリヘ(英語版)によって行われ、ドイツの外科医が行っていたが、ハルステッドは更に切除する箇所を深め、最終的に大胸筋と鎖骨近くのリンパ節、脇の下近くのリンパ節を除去した。根こそぎ切除するため、肋骨の輪郭が浮き出た格好になってしまい、腕の動きも悪くなる非常に過酷な手術だった。1898年にニューオーリンズで開催されたアメリカ外科協会(英語版)の会議で、ハルステッドは局所再発の割合が大幅に減少したと結論づけた。さらに1907年にも多くの調査を元に同じ結果を示した。 ただし、局所再発と遠隔転移は自然放置と変わらないとされており、現在乳癌の生存率は、手術中に除去される量よりも、手術前にガンが転移する量と密接に関連していることが知られている。もっとも、これらの手術の成功でハルステッドは外科医としての名声が徐々に高まっていった。
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