わかしお銀行とは? わかりやすく解説

わかしお銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 10:19 UTC 版)

株式会社わかしお銀行
The Wakashio Bank, Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本
101-0051
東京都千代田区神田神保町二丁目21番地1
北緯35度41分42.3秒 東経139度45分24.6秒 / 北緯35.695083度 東経139.756833度 / 35.695083; 139.756833座標: 北緯35度41分42.3秒 東経139度45分24.6秒 / 北緯35.695083度 東経139.756833度 / 35.695083; 139.756833
設立 1996年平成8年)6月6日
業種 銀行業
法人番号 5010001008813
金融機関コード 0524
事業内容 普通銀行業務
代表者 代表取締役頭取 市川 博康
資本金 400億円
主要株主 三井住友フィナンシャルグループ 100%
外部リンク http://www.wakashio-bank.co.jp/
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株式会社わかしお銀行(わかしおぎんこう、: The Wakashio Bank, Ltd.)は、かつて存在した三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)傘下の第二地方銀行。(2代目)三井住友銀行法人格上の前身であり、2003年に(初代)三井住友銀行を吸収合併逆さ合併)した。したがって、「わかしお銀行」の屋号で営業している店舗は現存しないが、法人としては現在も存続していることになる(詳細は後述)。

設立の背景

さくら銀行[注釈 1]富士銀行東海銀行三和銀行などからによる2度にわたる支援を受けたものの、バブル崩壊とその後の地価下落によって不良債権処理が進捗せず、1996年3月、太平洋銀行は経営破綻した。同年3月29日に発表された4行声明に基づき、太平洋銀行を救済するための具体案の検討が開始されるが、受皿銀行の設立に関しては、さくら銀行から公正取引委員会に対する事前相談の席で、4行出資によって受皿銀行を設立することに関しては「一定分野における競争を実質的に制限することとなるおそれがある旨の指摘」があった[1]。こうしたことから同年6月6日、さくら銀行が資本金の全額である400億円を出資しわかしお銀行を設立[1]。さらに富士銀行、東海銀行、三和銀行の各行はわかしお銀行に総額933億円の劣後ローンを供与した。このほか、預金保険機構から1,170億円もの金銭贈与を受けた[1]

同年9月17日、わかしお銀行が営業を開始。中小企業を中心に営業を展開し、頭取にはさくら銀行の常務経験者が就任したほか、支援三行や日本銀行も役員を派遣した。また同年10月には、さくら銀行が金融法人部内にわかしお室を設置した[1]2001年4月1日、さくら銀行が住友銀行合併したため、三井住友銀行完全子会社とされた。

金融機関コードは第一相互銀行→太平洋銀行と同じ0524を使用していた。なお、本店旧館の建物は関東大震災時の震災復興建築として知られている。

三井住友銀行との「逆さ合併」

親会社だった三井住友銀行は、前身銀行も含めれば3度に渡る存亡の危機を何とか乗り切って営業を続けていたが、バブル崩壊後の不況で保有する株式等の有価証券の価格が下落して含み損(約8,000億円)を抱えていた。そこで、子会社のわかしお銀行を存続会社とし三井住友銀行を消滅させる合併で、三井住友銀行が保有していた不動産などの財産の含み益(約2兆円)を帳簿上現実化させて、有価証券の含み損を一掃し経営の健全化を図ることとした[2][3]

合併に際し、三井住友銀行を存続会社とした場合、有価証券の時価での再評価となってしまい、銀行の営業に必要な自己資本比率が基準を下回ってしまい、準国有化される恐れがあった。しかし、わかしお銀行を存続会社とした合併の場合、当時は合併差益として消滅会社側となる三井住友銀行の財産については簿価ではなく再評価して時価で存続財産の資産に計上することができた。

法人格で見れば、第二地方銀行が都市銀行を吸収合併したことになる。またこれにより、戦前の住友財閥以来の伝統を誇る旧住友銀行の法人格が消滅した。この手法は、三井住友銀行がプライドを捨ててがむしゃらに再建をしようとしているとして、関係者から驚かれた。このように、小さな会社を存続会社とする合併を「逆さ合併」という。なお、直後に「逆さ合併」の場合のみ消滅会社となる規模の大きい会社の財産は時価ではなく簿価での評価とすることが義務付けられたため、以降の銀行合併で同様の手法を使うことはできなくなった。

なお、合併直前に(初代)三井住友銀行は、保有していたわかしお銀行の全株式を三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)に譲渡している。このため合併の時点では、わかしお銀行と(初代)三井住友銀行は、ともにSMFGの完全子会社だった。これによって両行が資本関係上対等な立場になり、2003年3月17日、わかしお銀行が(初代)三井住友銀行を吸収合併した。合併後、三井住友銀行はわかしお銀行の営業及び業務管理部門を引き継ぐことを目的にコミュニティバンキング本部を設置。同部の下にコミュニティ統括部、コミュニティ人事部などの6部を置いた[4]

類似例

この逆さ合併に類似したケースに、旧弘前相互銀行普通銀行への転換のために、自らより規模の小さい地方銀行青和銀行を存続行として合併して発足したみちのく銀行2000年4月1日近畿銀行と合併した大阪銀行(後の近畿大阪銀行、現・関西みらい銀行)などが挙げられる。

沿革

脚注

注釈

  1. ^ 第1次支援時には太陽神戸銀行

出典

参考文献

  • 三井住友銀行総務部行史編纂室編 『三井住友銀行十年史』 三井住友銀行、2013年。

外部リンク


わかしお銀行

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三井住友銀行」の記事における「わかしお銀行」の解説

戦前相互無尽という名の無尽会社として東京神田神保町開業大日本無尽への統合にも加わらず独立守り戦後、 「第一相互銀行」に転換後経営危機迎え日本相銀支援を受けるも再建後富士銀行接近して救済合併免れた。しかし1989年平成元年)、当時小林社長による乱脈経営行き詰まり太陽神戸銀行ほか都銀数行による管理体制に入る。同年10月第二地銀転換し太平洋銀行となるもバブル崩壊による経営危機遂に破綻受け皿銀行としてさくら銀行全額出資のわかしお銀行が設立された。以降太平洋銀行承継した同行東京第二地銀として中小企業金融中心に営業していた。2003年平成15年3月に、(旧)三井住友銀行有価証券含み損(約8000億円)を資産含み益(約2兆円)を帳簿現実化させる目的でわかしお銀行が存続会社となり(旧)三井住友銀行合併するいわゆる逆さ合併」を実施した千代田営業部旧館建物関東大震災時の震災復興建築として知られている。

※この「わかしお銀行」の解説は、「三井住友銀行」の解説の一部です。
「わかしお銀行」を含む「三井住友銀行」の記事については、「三井住友銀行」の概要を参照ください。

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