はまお‐しろう〔はまをシラウ〕【浜尾四郎】
浜尾四郎(はまお・しろう)
1896年(明29)、東京生まれ。一高時代は大下宇陀児と同級生。東京帝大法学部卒。俳優協会の顧問弁護士を務めていたこともある。趣味も幅広く、清元の梅吉社中の名取りでもあり、麻雀連盟の名誉会長も務めていた。一高寮歌の作曲も手がけた。
祖父は男爵文学博士法学博士の加藤弘之、父は医学博士の加藤照麿で、コメディアンの古川緑波は実弟。1918年(大7)に子爵枢密院議長、浜尾新の養子となる。息子は東宮侍従を務めた浜尾実と、ローマカトリック教枢機卿の浜尾文郎がいる。
1923年(大12)、「日本法政雑誌」に「犯罪人としてのマクベス及びマクベス夫人」を発表。
1923年(大12)、司法官試補となる。
1924年(大13)、東京区裁判所検事代理となる。
1925年(大14)、子爵となる。また、東京司法裁判所検事となる。
1927年(昭2)、「新青年」に「落語と犯罪」を発表。
1928年(昭3)、検事を辞職し、弁護士になる。
探偵小説は犯罪研究「歌舞伎劇に現れたる悪人の研究」などを読んだ小酒井不木、森下雨村に勧められて筆をとった。
1929年(昭4)、「彼が殺したか」を「新青年」に発表。
1931年(昭6)、「殺人鬼」を「名古屋新聞」に発表。
1933年(昭8)、「鉄鎖殺人事件」を刊行。
1933年(昭8)、貴族院議員選出。
1935年(昭10、著作権審査委員拝命。
純粋本格理論の先駆者で、ドイルとヴァンダインを信奉。また、法と裁判に対する公正さに疑問を投げかける作品も多く残した。
1935年(昭10)、脳溢血により死去。
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