貴族院議員選出
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1889年(明治22年)2月貴族院令が発布されると、1890年(明治23年)6月10日互選会で県下多額納税者15名より最多得票を集め、貴族院議員に選出され、同年9月29日に就任し、東京市に出て麹町区飯田町三丁目27番地に住んだ。この時納税額は1,728円74銭5厘で、富士郡松永安彦、掛川市山崎千三郎に次いで県下第三位。 1896年(明治29年)、日本勧業銀行法案、農工銀行法案の審議に参加している。1897年(明治30年)任期を終えて帰郷した。 1909年(明治42年)4月24日午前10時病没し、28日寺町興禅寺で葬儀が行われた。
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