なぜ排斥されたのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:28 UTC 版)
「トマスによる福音書」の記事における「なぜ排斥されたのか?」の解説
正統派教会側の歴史的・教義的立場から論ずると、「全能の父なる神の独り子・イエス・キリストが(人々の罪を贖って)死に、復活し、天に昇り、やがて再臨する」とされ、この父なる神とイエス・キリストに対する「信仰」及び倫理的「行為」(律法)によって、また救済機関としての「教会」を通じて人は救われるという救済観を持っている。 これに対しトマス福音書を含むグノーシス派は、正統派教会の教義に対して以下の見解を持つ: 旧約聖書で天地を創造した造物主を至高者の下に置き、またイエスについても、その肉による復活を認めない。 至高者に由来する本来的自己についての「認識」(グノーシス)による救済を最重要視し、グノーシスを通じて、造物主への信仰や律法など倫理的行為、および教会の権威から解放されなければならないと説く。 グノーシス各派により程度の差はあれ、「信仰」、「行為」、「教会」(および教会を担う聖職者)に絶対的な権威を認めない。 またグノーシス派の中には、自らを「真のキリスト者」と任じ、正統派教会を批判しながらも、「信仰すら持たない者に比べれば少なくとも正統派教会は信仰を持っており、グノーシスの奥義に導くことができれば救済へ至る可能性が高い」と考え、これに布教の手を伸ばす教団もあった。これらが正統派教会にとって大変な脅威となったと推測できる。 加えて、グノーシス派は、使徒や使徒伝承に基づく教会の権威によらずとも、各人の自己「認識」(グノーシス)により救済されると主張し、誰もが啓示に与ることができると説くので、各人の解釈に基づき無限に聖文書を生み出すことができた(正統派教会によって外典に入れられたキリスト教グノーシス文書は40を超える)。この点も、教会の権威により正典を制定していく過程にあった正統派教会にとっては大きな問題となったであろう。 なお、グノーシス派が倫理的行為を軽視する点から、「グノーシス派は律法を否定する放逸主義であり、肉欲的である」と、しばしば正統派教会は非難してきた。だが、この批判は、一部のグノーシス派を除き、グノーシス主義全般に当てはまるものではない。少なくとも、トマス福音書の思想は禁欲的である。 グノーシス主義から見れば、本福音書は偽作でも外典でもなく、グノーシス主義に則って、イエスの言葉を解釈して成立した正規のグノーシス文書である。また、正統派教会が本福音書をマニ教による偽作であるとした根拠として、事実、本福音書は、マニ教徒により広く受容されていたが、グノーシス主義の一派でもあるマニ教が、その解釈原理から本福音書を採択していたのは、至極当然なことである。
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