どれくらい速かったのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 01:07 UTC 版)
「スティーヴ・ダルコウスキー」の記事における「どれくらい速かったのか」の解説
ダルコウスキーの球速に対する評価は数多く残されているが、スピードガンに代表されるスピード測定器が使用されていなかった時代でもあり、証言による推測の域を出ない。115マイル(185キロ)というにわかに信じがたい証言もあるが、多くの証言は、100マイル(161キロ)以上、おそらく100から105マイル(161から168キロ)の間ぐらいは出ていたという意見で一致している。ESPN内で、カル・リプケン・シニア(英語版)は115マイル(約185km/h)を出していたと見積もっている。またテッド・ウィリアムスは引退後の自伝で自分が見た最速投手としてダルコウスキーの名を挙げている。 1958年にダルコウスキーは軍施設のアバディーン性能試験場で、レーダー機器による球速測定を受けた。これがダルコウスキーの球速に関して残されている、唯一の数値上の証拠である。このときの測定値は93.5マイル(150キロ)というものだった。これはプロ野球選手の球速としては、決して抜きん出たものではない。ただし、この日ダルコウスキーは計測前にすでに1試合を投げており、さらに、計測機器が正確な測定値を示すようになるまで40分間投げ続けた後に出た数値がこれだった。また、計測にあたってはピッチャーズマウンドも使えなかった。 ギネスブックによれば、現在の球速世界記録は105.1マイル(169.1キロ)で、これは2018年にアロルディス・チャップマンによって記録された。一方、『野球年鑑』 (The Baseball Almanac) によれば、マーク・ウォーラーズが1995年の春季キャンプで103マイル(165.8キロ)をたたき出したとされている。100マイル以上の速球を投げられる投手は、いつの時代でも極めて稀であることは確かである。 ダルコウスキーはその球速と荒れ球によって、対戦する打者にとっての脅威となったことは確かである。エルマイラ時代にダルコウスキーの球を受けた捕手アンディー・エチェバレンは、彼の速球を「光線」 (light) と表現し、「捕球はしやすかった」と述べている。エチェバレンによれば、ダルコウスキーの荒れ球は高めに浮くことが多かったが、ときどき低目に入ってきた。「ダルコウスキーが膝の高さに来そうな速球を投げる。あとはただ、ボールがバッターの目の前を通り過ぎるのを黙って見てればいい。彼の球はそんな感じだった」とエチェバレンは証言している。 彼の驚異的な速球は多くの伝説を生んだ。ある伝説によれば、あるときダルコウスキーの投球によって相手打者の耳の一部が引きちぎられてしまい、このことが原因となってダルコウスキーは神経質になり、ますます荒れ球になったのだとされている。またある伝説によれば、1960年にストックトンで彼の投球が球審のマスクを直撃。マスクは3箇所で破損し、球審は18フィート(5.5メートル)後方に吹き飛ばされた。結局この球審は脳震盪で病院へと運ばれ、3日間入院したという。こんな逸話も残されている。あるとき、ダルコウスキーはチームメイトのハーマン・スターレットと、投球によって壁を突き破れるかどうかの賭けをした。ウォームアップののち、15フィート(4.6メートル)の距離から木製の外野フェンスに向かって投げられたダルコウスキーの初球は、見事にフェンスを突き抜け、ダルコウスキーはスターレットから5ドルをせしめた。この他にも、遠投でフェンスオーバーの440フィート(134メートル)を記録したという話が伝えられている。 制球の悪さに関しては「2イニングで120球を費やして降板させられた」「1安打完投ながら8対9で敗れた」「木製のフェンスにストライクゾーンを描いて投げさせたところ、いくつもの穴が開いたがゾーン内はきれいなものだった」といった逸話が存在する。
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