下谷坂本の富士塚
名称: | 下谷坂本の富士塚 |
ふりがな: | したやさかもとのふじづか |
種別: | 信仰に用いられるもの |
員数: | 1基 |
指定年月日: | 1979.05.21(昭和54.05.21) |
所有者: | 小野照崎神社 |
所有者住所: | 東京都台東区下谷二丁目 |
管理団体名: | |
備考: | |
解説文: | 富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つで、修験道の行者の登拝の歴史も古代にさかのぼる。富士塚は、富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永九年(一七八〇)高田水稲荷【みずいなり】の境内にこれを築いたのが始まりである。 庶民の富士山信仰は江戸中期にはかなり盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、やがて多くの富士塚が築造されて、現都区内だけでも五十数か所の富士塚を数えるに至った。しかし、近時の社会の変貌にともない、その大半が消滅・損壊され、原形をよく保つ富士塚は少なくなった。 富士山の場合と同様に、かつては旧六月一日、今日では七月一日が富士塚のお山開きで前夜から祭りが行われ当日は富士講徒による七富士参りが行われたが、講も少なくなり、行事も衰退している。 下谷坂本の富士塚は、富士講の一派入谷東(山東)講によって文政十一年(一八二八)小野照崎神社の境内に築造されたもので、高さ約五メートル、直径約一六メートル、塚全体を富士の熔岩でおおっている。東北側を一部欠損してはいるが、登山道が設けられた正面側などは完存し、万延元年(一八六〇)再建の石門、天保七年(一八三六)造立の神猿、文政十一年(一八二八)坂本二丁目若者奉納の石燈籠などを備え、塚の上の登山道に合目石【ごうめいし】を建て、一合目の岩屋に役行者【えんのぎようじや】像、五合目付近に富士講の祖と崇められる藤原角行【かくぎよう】(一六四六年没)の像をまつる石祠を置いている。 都区内の富士塚の中で原形をよく保つものは少ないがその中でも、この塚は最も古く、庶民信仰の様相を示すものとして重要である。 |
人の一生に関して用いられるもの: | 白山麓西谷の人生儀礼用具及び民家 |
信仰に用いられるもの: | おしらさまコレクション 三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬 下谷坂本の富士塚 元興寺庶民信仰資料 八葉寺奉納小型納骨塔婆及び納骨器 六波羅蜜寺の庶民信仰資料 |
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