『The Day』時代(1980年4月 - 1988年3月)
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「NNNきょうの出来事」の記事における「『The Day』時代(1980年4月 - 1988年3月)」の解説
サブタイトル付きの『The Day NNNきょうの出来事』(ザ・デイ - )となる(土曜と日曜は1981年3月迄は1980年3月以前のスタイルを継続)。この頃は23:00から20分間の番組であったが、1985年4月改編で月曜から木曜は30分に拡大、金曜は23:30からの15分番組となった。これ以降、後番組の『NEWS ZERO』を含め金曜の放送は月 - 木曜とは別編成となる。 1980年4月より「1980年代は女性の時代」という触れ込みのもとで女性キャスターが起用された。それまでニュースにおける女性キャスター・アナウンサーの役割は専ら「ヒマネタ(季節の話題など平和なトピックス)」を伝えるものだったが、きょうの出来事ではこの慣例を破り、男女同じ立ち位置でニュースを伝える方針を採った。放送開始初日にも「NNNにアンカーパースン登場!」と新聞広告が打たれる気合いの入れようだった。初代女性キャスターに抜擢されたのは片倉もとこ(アラブ問題評論家)と馬場恭子(所沢市立所沢中学校教師)の2人。しかし、片倉はわずか1か月で降板し、日本テレビアナウンサーの小坂美保子に交代。片や馬場もたどたどしい喋りで視聴者受けが悪く、9月いっぱいで降板してしまう(馬場の後任は青尾幸)。日本テレビの革新的な試みはわずか半年で躓いてしまう結果となった。 その後、番組スタッフと外国人記者クラブの席などで面識のあったジャーナリスト・櫻井良子が1980年7月より新キャスターとして抜擢されると、ようやく男女ペア体制が安定化。結果的に櫻井は1996年3月まで16年近くキャスターを務め、自身の看板作ともなった。久保が担当から外れ、小林・櫻井コンビに固定してからは地味ながら徐々に根強い支持を集めるようになる。 オープニング映像はCGを使用していたものの、エンディング映像はブルーバックで提供クレジットとタイトルが出ているだけだった。 1983年4月頃から1年ほどの男性メインキャスターは、小林ではなく、高雄孝昭が担当していた。これは小林が夕方の『NNN JUST NEWS』を担当したことによるもので、後に小林が復帰して1988年3月までキャスターを担当した。同じころ『NNN JUST NEWS』を担当していた國弘正雄が小林と入れ替わる形で週後半のキャスターとなり、小林の復帰後も含めてのべ2年間担当した。 この時代、ローカル枠の前に、海外ニュースを電報風に紹介するコーナーや、比較的軟らかめのニュースをフラッシュ形式で伝える「THE DAY フラッシュ」というコーナーがあった時期もあった。よみうりテレビはこれらのコーナーから飛び降りることもあった。
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