『金史別本』の偽撰者はだれかとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『金史別本』の偽撰者はだれかの意味・解説 

『金史別本』の偽撰者はだれか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)

義経=ジンギスカン説」の記事における「『金史別本』の偽撰者はだれか」の解説

この本は『金史列将傳』とも記され中身は「源義行となっている。どうも金史別本作者沢田ではなく篠崎東海によると中根右衛門知音ということになるが、断定出来ない。 ところが岩崎克己は『鎌倉実記』の著者加藤謙斎 を金史別本の偽撰者断定し金田一義行傳(金史別本)の偽作沢田源内胚胎するもので、『鎌倉実記』を沢田源内偽作としたが、永田方正誤解をさらに誤解したものだと記している(『義経入夷渡満書誌昭和18年)。源内元禄元年(1688年)年で70歳ということは逆算すれば元和年間(1615年24)初期生まれと言うことになるから、伊勢貞丈の『安西随筆』に慶長年間(1596年1615年)には、源内が既に旺盛な捏造活動をしていた事が確認できるので、元禄元年没とするにはかなり苦しく貞享4年(1687年)年生まれ篠崎東海沢田源内対決するには無理があり、『大系図評判遮中抄』によれば篠崎東海はまだ一歳の赤子であるから篠崎沢田源内とは会っていないと推定できる。「沢田源内加藤謙齋に置き換えると謙齋は享保9年(1724年)の春に没しているから多少現実味帯びてくる。沢田源内『金史別本』の偽撰者とするには根拠がなく、『和学弁記載従い鎌倉実記』の著者(謙齋)に当てるのが自然の順序である。金田一博士の説のごとく『鎌倉実記がまずまんまと騙されて、麗々とその偽作文句引用した』のではなく騙したのは『鎌倉実記そのものであり、偽作『金史別本』は『鎌倉実記』の著者加藤謙齋その人創作のである」と岩崎断言している。 作家森村宗冬 は『金史別本捏造の大ペテン師のような印象を持つが、実像教育者にして医学者であり、医学儒学本草学詩文通じ京都医業を営む傍ら多く門人育成し日用療法』などの医学書書いている。贋作作成生活手段としているならいざ知らず地位教養を身につけている加藤謙齋がなぜこのような偽書書いたのかと疑問視している。しかし、篠崎東海宝暦8(1758)刊の『和学弁写しの『東海談』巻上で、「金史別本作者とする人物屈服させているが、謙齋は享保9年(1724年)の春に没していて死後34年経っているので、謙齋ではないことが判る結局のところ、本当作者は判らず、岩崎加藤謙齋であるとし、森村氏もこれを支持しているが、篠崎東海中根右衛門知音屈服せしめたとし、謙齋の没年齢からも謙齋の偽作不可能である他、白石『金史別本』稚拙な書き物として偽書見破ったが『鎌倉実記』については何も触れておらず、この書が偽書だとは白石の書からは確認できない。従って『金史別本』の偽撰者加藤謙齋とするには少し苦しい。金田一博士支持した沢田源内撰者説は源内生きた年代から無理があり違うと思われ加藤謙齋偽撰者説も違うと思われる真犯人篠崎東海だけが知っており、これが発刊されてから41年経過し生きていたのなら高齢人物加藤謙齋に近い人物?(弟子など)か)と思われる

※この「『金史別本』の偽撰者はだれか」の解説は、「義経=ジンギスカン説」の解説の一部です。
「『金史別本』の偽撰者はだれか」を含む「義経=ジンギスカン説」の記事については、「義経=ジンギスカン説」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『金史別本』の偽撰者はだれか」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

『金史別本』の偽撰者はだれかのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『金史別本』の偽撰者はだれかのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの義経=ジンギスカン説 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS