『漫玉日記』連載開始
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その後、アスキーが発行していた漫画雑誌「ファミコミ」にて、『トル玉の大冒険』を連載。『しあわせのかたち』後期と同形式の日常を描いた漫画日記へと移行する。 1995年に「ファミコミ」と「月刊アスキーコミック」が休刊となり、両誌を引き継ぐ形で創刊された「月刊コミックビーム」に移籍する。それを機に『トル玉の大冒険』から『防衛漫玉日記』にタイトルが変更された。桜玉吉が結成した地球防衛隊(釣りサークル)での活動を中心に描いていたが、私的事情の混乱もあってか次第に無気力になり、防衛隊を解散させて連載を突然終わらせる。 私生活では、『しあわせのかたち』の連載中の1989年にコピーライターの女性と結婚しており、娘をもうけていたが、すれ違いなどが原因で『防衛漫玉日記』終了後に離婚した。しかし、その後も絶縁したわけではなく、子供の親として頻繁にコミュニケーションはとっていた模様。 『防衛漫玉日記』の連載終了後、虚脱状態に陥り、病院で軽いうつ病と診断される。漫画家という孤独な仕事にその原因があると考えた玉吉はペンを置くことを決心する。しかし担当編集者の「何でも独力でやろうとし過ぎる。もっと組織的な活動をすべきである」とのまじめな説得に思いとどまり、漫画家活動のための有限会社設立を決め、有限会社「玉屋」を設立した。 『防衛漫玉日記』から1年の休筆を経て『幽玄漫玉日記』を「月刊コミックビーム」1998年1月号から連載する。『防衛漫玉日記』とほぼ同じ漫画日記の形式をとる内容で、当初「玉屋」の活動日記という体裁の通常のエッセイ漫画を企図していたが、この頃より鬱の症状及びそれに伴う前衛的な表現と、個人の独白のような内容が出始める。画風もデフォルメタッチの表現から、水彩画まで幅広くあり、終盤は後の『御緩漫玉日記』に繋がる現実と虚構が交錯する独特の内容となっており、自己の内面を私小説風に掘り下げつつそれ自体を自己模倣の対象としてユーモラスに描いた。 「月刊コミックビーム」2003年11月号から『御緩漫玉日記』連載。念願叶って手に入れた伊豆の一軒家での生活を描く。また、多摩川の近くに新しく仕事場を借りた頃の過去の回想的な物語も不定期に描かれるが、連載中に急性腹膜炎になり死線を彷徨う。連載再開後は、前々作、前作において見られた、鬱症状を描いた内容および現実と虚構が交錯するメタ表現が顕著に出ており、それに合わせて画風も濃い水墨画を用いた大胆な作風になる事が多くなった。鬱の影響もあって、作画作業が困難になることが多かったらしく、独白のみを描き殴ったような実験的作風も見られ、今まで以上に幻想的な展開となっていく。 「自分の知らない間に勝手に別人格が制作中の漫画を書き換える」など解離性同一性障害を思わせる症状が出始め、体力的・精神的な限界を感じ『御緩漫玉日記』の連載を終了(未完)。その後は「コミックビーム」の宣伝4コマ『読もう! コミックビーム』や僅かなイラスト仕事のみで作品連載は行わず、ヤフーオークションに出品を行って金銭を得ているエピソードが4コマの作中で明かされていた。
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