『漢書』の倭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:21 UTC 版)
確実に日本列島の住民について記した最古の文献資料として後漢時代の章帝の治世下(75年 - 88年)に歴史家の班固、班昭によって完成した『漢書』地理志がある。燕地の条には「夫れ楽浪海中に倭人有り。分かれて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云ふ」の記載がある。 「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」然して東夷の天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、説(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。以(ゆえ)有るかな。楽浪海中に「倭人」あり、 分かれて百余国をなし、 歳時をもって来たりて献見すと云う。 また呉地の条には「会稽海外に東鯷人有り。分かれて二十余国を為す。歳時を以て来り献見すと云ふ」の記載があるが、東鯷人と倭人の関係は不明である。「鯷」(テイ)は大きなナマズを意味する。谷川健一は「わが列島の中に「東鯷人」の国を求めるとすれば、阿蘇山の周辺をおいてほかにないと私は考える」と記している。
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