『漢方診療の実際』
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藤太郎は、後世派一貫堂の矢数道明、古方派の大塚敬節、折衷派浅田流の木村長久と、3年の歳月をかけ毎月各自の分担原稿を持ち寄って互いに推敲を重ね、1941年10月に『漢方診療の実際』(南山堂)を刊行する。藤太郎の分担は、漢方薬物解各論、漢方術語解などであった。本書は、漢方の専門用語はなるべく用いず、各論は当時南山堂から出版されていた『内科診療ノ実際』に準じて病名を中心に書くよう南山堂から要望されていた。このため、現代医学を修めた医師であれば漢方用語が分からなくても理解できたので広く読まれ、版を重ねた後、1954年(昭和29年)に大幅改訂され、更に1969年には西洋医学的な新知見も加えて『漢方診療医典』として発行された。『漢方診療の実際』の初版は、今日の日本で「はじめて現代医学の病名による漢方治療の大綱を整理したもの」として評価がされており、また、中国でも受け入れられ翻訳本は10万数部が発行されている他、韓国語、フランス語、ドイツ語にも翻訳され、これらの国で東洋医学が再認識されるきっかけともなった。
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『漢方診療の実際』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/30 16:14 UTC 版)
後世派一貫堂の矢数道明、古方派の大塚敬節、折衷派浅田流の木村長久と薬学の清水藤太郎は、3年の歳月をかけ毎月各自の分担原稿を持ち寄って互いに推敲を重ね、1941年10月に『漢方診療の実際』(南山堂)を刊行する。本書は、漢方の専門用語はなるべく用いず、各論は当時南山堂から出版されていた『内科診療ノ実際』に準じて病名を中心に書くよう南山堂から要望されていた。このため、現代医学を修めた医師であれば漢方用語が分からなくても理解できたので広く読まれ、版を重ねた後、1954年(昭和29年)に大幅改訂され、更に1969年には西洋医学的な新知見も加えて『漢方診療医典』として発行された。『漢方診療の実際』の初版は、今日の日本で「はじめて現代医学の病名による漢方治療の大綱を整理したもの」として評価がされており、また、中国でも受け入れられ翻訳本は9万部以上が出版されている。
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