内規制定までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:49 UTC 版)
「一般用漢方製剤承認基準」の記事における「内規制定までの経緯」の解説
1970年(昭和45年)7月、厚生労働省薬務局製薬課に「漢方打合せ会」が発足し、大塚敬節、浅野正義、西本和光、菊谷豊彦が委員となり、事前に準備されていた632処方から一般用医薬品として適切であると考えられる346処方に絞り、1971年(昭和46年)10月、その結果を中央薬事審議会に送る。中央薬事審議会一般医薬品特別部会の下に「漢方生薬製剤調査会」が発足し、「漢方打合せ会」が選定した346処方に業界団体(日本製薬団体連合会の漢方専門委員会)の意見を反映し210処方の素案ができる。210処方の出典は、『傷寒論』、『金匱要略』、『和剤局方』、『万病回春』、『外台秘要方』、『千金方』、『方輿輗』などの古典から取り上げ、『経験漢方処方分量集』(大塚敬節、矢数道明)、『漢方診療の実際』(大塚敬節、矢数道明、清水藤太郎)、『漢方診療医典』(大塚敬節、矢数道明、清水藤太郎)、『臨床応用漢方処方解説』(矢数道明)、『漢方医学』』(大塚敬節)、『明解漢方処方』(西岡一夫)など現代の漢方関連の成書を参考に、成分・分量、用法・用量、効能・効果などの案が作成された。この素案をもとに中央薬事審議会にて審議・承認され、1972年(昭和47年)11月から1974年(昭和49年)5月までの間、計4回に分けて公表された。
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