『津田左右吉の思想史的研究』への評価
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「家永三郎」の記事における「『津田左右吉の思想史的研究』への評価」の解説
『津田左右吉の思想史的研究』(岩波書店1972)序文ⅱ - ⅲ たまたま、一九六五年以来、私は教科書裁判という前例のない裁判の原告としてはげしい攻防戦の渦中に立つ身となったが、その争いの中で、争点の一つとなっている検定不合格箇所が、戦前の津田の研究成果に立脚して書かれたものでありながら、これを不合格とした文部省は、その不合格処分を正当化する証拠として戦後の津田の著作を法廷に提出するという、奇怪なできことに遭遇した。訴訟当事者として理論的にゆるぎのない裏づけをするためにも、私は、戦前の津田と戦後の津田とを統一的に再認識することにより、文部省に右のような手口で利用されることとなった客観的根拠をきびしく洗い出してみなければならないと考え、津田左右吉の総合的な研究を、一日も早く完成する必要を、改めて強く感ずるにいたったのである。P596 - 597教科書訴訟は二つの訴訟の総称であるが、ここでは便宜第二次訴訟のほうだけによって述べると、昭和四十二年三月二十九日、教科書検定権者である文部大臣は家永三郎著作高等学校用教科書原稿の一説「『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から始まっている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが」とある部分を不合格処分に付したので、著者はその取消しを求める訴訟を東京地方裁判所に起し、この叙述は、津田左右吉の学説によったものであって「学界の殆んど異論のない最大公約数的命題」であり、著者の学問的見解に基く記述の当否を公権力により審査する検定処分は憲法に違反する、と主張した。 このように津田の学説に立脚した叙述の検定不合格処分の取消しを求めるこの訴訟は、津田学説が皇室の尊厳を冒涜したと称して行なわれた戦争中の刑事裁判のいわば復讐戦ともいうべき性格を帯びていたが、被告文部大臣は、戦後の津田の論文の一部を乙第二一号証・乙第五二号証として提出し、原告の主張に対する抗弁のために用いた。 本書に対する学術評価を列挙すると、ひろたまさきは「本書は教科書裁判闘争によって産み落とされた成果であるとともに、その裁判のための学問的な武器としてもつくられた」と評価した。兵頭高夫は「家永氏が津田の『思想史的変貌』あるいは『転向』と呼ぶものが必ずしも十分に根拠のあるものではないことが理解できよう」と述べ、西義之と田中卓も家永の論理の弱点を指摘した。木村時夫も「家永氏の今度の書物は、津田の学問的業績を日本の思想史上に位置づける学問研究ではない」と批判した。
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