『戊戌夢物語』と『慎機論』とは? わかりやすく解説

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『戊戌夢物語』と『慎機論』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 23:25 UTC 版)

蛮社の獄」の記事における「『戊戌夢物語』と『慎機論』」の解説

幕閣モリソン号に関する評議おこなわれていたのと同時期、天保9年1838年10月15日市中尚歯会例会開かれた席上で、勘定所勤務する幕臣芳賀三郎靖兵隊隊長芳賀宜道の父)が、評定所において現在進行中のモリソン号再来に関する答申案をひそかに示した前述のように、幕議決定は、モリソン号再来可能性とりあえ無視し漂流民はオランダ船による送還のみ認めるというものだったが、もっとも強硬であり却下され評定所意見のみが尚歯会では紹介されたために、渡辺崋山高野長英松本斗機蔵はじめとするその場一同幕府意向打ち払いにあり、またモリソン号来航過去のことではなくこれから来航する誤解してしまった。 報せ聞いてから6日後に、長英打ち払い婉曲に反対する書『戊戌夢物語』を匿名書きあげた。幕府対外政策批判する危険性考慮し前半では幕府対外政策肯定しつつ、後半では交易要求拒絶した場合報復危険性暗示するという論法書かれている。これは写本流布して反響呼び、『夢物語』の内容意見唱える形で『夢々物語』『夢物語評』などが現われ幕府危機意識生じさせた。なお、松本長英同様の趣旨の「上書」を幕府提出している。 一方崋山も『慎機論』を書いた。自らの意見幕閣届けることを常日頃から望んでいた崋山は、友人儒学者海野予介が老中太田資始侍講であったことから海野仲介頼んでいた。しかし当の慎機論』は海防批判する一方で海防不備憂えるなど論旨一貫せずモリソン号についての意見明示され結論至らぬまま、幕府高官対す激越批判で終わるという不可解な文章になってしまった。内心では開国期待しながら海防論者を装っていた崋山は、田原藩年寄という立場上、長英のように匿名発表することはできず、幕府対外政策批判できなかったためである。自らはばかった崋山提出取りやめ草稿のまま放置していたが、この反故にしていた原稿が約半年後の蛮社の獄における家宅捜索奉行所あげられ断罪根拠にされることになるのである。 なお、『夢物語』『慎機論いずれもモリソン船名ではなく人名としているが、松本の「上書」では事実通り船名となっており、長英崋山はあえてモリソン人名したもの思われるモリソン恐るべき海軍提督あるかのように偽って幕府恐れさせ、交易要求受け入れさせようしたものとみられる。 同じ頃、これは目付鳥居耀蔵江川英龍江戸湾巡視の命が下った時期でもあるが、崋山友人儒学者安積艮斎宅に招かれ世界地図広げ海外知識説いている。居並ぶ客皆感嘆の声漏らさない者はなかったが、唯一式部林述斎三男鳥居耀蔵の弟)だけは冷笑するばかりであったという(赤井東海『奪紅秘事』)。

※この「『戊戌夢物語』と『慎機論』」の解説は、「蛮社の獄」の解説の一部です。
「『戊戌夢物語』と『慎機論』」を含む「蛮社の獄」の記事については、「蛮社の獄」の概要を参照ください。

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