『懐風藻』の「天命果たさず」
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「大友皇子即位説」の記事における「『懐風藻』の「天命果たさず」」の解説
奈良時代に書かれた『懐風藻』は、大友皇子の伝を同情的に書き、『書紀』と異なり大友皇子を「皇太子」とするが、天皇とは呼ばず、即位したとも書かない。伝の中では大友のことを「皇太子」だと繰り返して書く。『懐風藻』には大友の子葛野王の伝もあり、そこでも葛野王は「大友太子の長子」とある。 谷森種松は、『懐風藻』が天智天皇のことを「淡海先帝」とことさらに「先」の字を付けて書いたのは、淡海後帝の存在を暗示するもので、大友皇子の即位を知らせようとしたのだと考えた。伴信友がこれに加えて、序文が「淡海から平都」までの詩をとったというのに、淡海朝(近江朝)の詩人が大友皇子1人だけというのは、暗にこの1人が天皇だったことを示すと論じた。また『懐風藻』には大友皇子の最期を記すとき、「天命を果たさなかった」とあり、この「天命」の字を天皇の地位と解釈する説がある。 ただ、この種の暗号説を用いれば、論者の都合でいかような解釈でも振り出すことができることは古代史ではよく知られており、今日学問的な論証として取り上げられることはない。
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