『少女アリス』編集長―ロリコンブーム到来
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「川本耕次」の記事における「『少女アリス』編集長―ロリコンブーム到来」の解説
同誌廃刊後は米沢嘉博の仲介で1979年春からアリス出版に移籍、合併アリスでは第五編集部編集長に就任する。入社当初はレズ雑誌『ガール&ガール』を編集していたが、同年初冬にはロリコンブームの火付け役となった伝説的自販機本『少女アリス』(アリス出版)の2代目編集長となり、同誌ではビニ本界の伝説的アイドルであった寺山久美(寺山修司主宰のアングラ劇団「天井桟敷」出身の文学少女)をモデルに新潟県上越市で写真撮影を敢行したほか、コミケットで日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』を発表していた吾妻ひでおに美少女漫画を依頼して「純文学シリーズ」を描かせる(後に奇想天外社から『陽射し』としてB5判ハードカバーで単行本化された)。この連作は叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確にテーマにした全8編の作品群で、後のロリコン漫画(美少女コミック)に直結する最重要作品群とみなされている。なお吾妻は川本について「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と『失踪日記』で語っていたほか、川本自身も「毎回通って、時には徹夜にもつきあって、原稿をいただいた時の感激は忘れません。時代を変える作品だと、あの頃から確信していました」と述懐している。 なお川本が編集を手がけた『少女アリス』について第2次ロリコンブーム中心人物の斉田石也は「厳密に言えば、本物の少女は登場していないものの、当時、娘の制服を借りて来たのか、と張り倒したくなるようなババアがセーラー服姿でニカッと笑っているのが普通でさえあった自販機本業界にあって、おそらく本物の十代の少女が登場する数少ない総合グラフ誌だった。この『少女アリス』の編集の中心的人物こそ誰あろう川本耕次氏なのだ。当時は編集者、カメラマン、ライター等々、一人で何役もこなしていたと聞いている。当時の『少女アリス』に掲載された女子高生の告白物語などは、全てノンフィクションだと信じていた。ところが、当時、その文章の大半を川本氏と青葉伊賀丸氏は捏造していたと聞き、かなりのショックを受けた。もちろん信じていたのにィという恨み節もあるが、それ以上に、あれだけのサイクルであれだけの量の文章を、しかも、専任ライターではなく様々な仕事をこなしながら書き綴っていたことがショックだったのだ。そして『少女アリス』を30号近くまで継続させた川本氏のパワーが、後にロリコンブームの布石になったことは、いまさら説明を必要としないだろう。『少女アリス』から『ありす』そして『アリス倶楽部』さらに『ロリコンハウス〜ロリくらぶ』を経て『アリスクラブ』まで、常に専門誌に少なからず影響を与えている氏の存在こそ、当時のパワーの延長と言える」と非常に高く評価している。
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