『奥州後三年記』の残虐性とは? わかりやすく解説

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『奥州後三年記』の残虐性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 01:25 UTC 版)

奥州後三年記」の記事における「『奥州後三年記』の残虐性」の解説

城中美女ども、つはものあらそひ取て陣のうちへゐて来る。おとこの首は鉾にさゝれて先にゆく。此は妻はなみだをながしてしりに行。 これを、「夫の首を妻が泣きながら追いかけた」と説明する学者も居るが、「男は殺され、その妻は連行され慰みものにされた」と読むのが正しい。 この話が、乱の直後から伝えられたものとの想定すれば、さして年代違わないはずの『今昔物語集』何処見ても、例えば「平維茂藤原諸任を罰ちたる語」の話などと比べても、このような凄惨さは類を見ない。尚、『今昔物語集』にも、巻2514話に「源義家朝臣、罰清原武衡等話」があったらしいが、タイトルが残るだけで本文伝えられていない。 『奥州後三年記』も、貞和版『後三年合戦絵詞』も、その特徴のひとつは残虐性である。確かに陸奥話記』にも、藤原経清の首を鈍刀をもって何度も打ち据えるように斬り殺した、というような話はあるが、レベル違いすぎる。また、陸奥話記』には、源頼義賛美しながら一方で安倍氏対す同情ともとれる、人間味あふれる記述の方が勝っている。『奥州後三年記』にはそのような人の心のあたたかさ感じられない。 千任が舌をきりをはりて、しばりかゞめて木の枝につりかけて、足を地につけずして、足の下に武衡がくびををけり。千任なくなくあしをかゞめて是をふまず。しばらくありて、ちから盡て足をさげてつゐに主の首をふみつ。将軍これをみてらうどうどもにいふやう。二年の愁眉けふすでにひらけぬ。 この話を詳細に書き記し、舌を引き抜く処、その後千任が木に吊され、力尽きて主人清原武衡生首踏んでしまうところを絵に描いた嗜虐性を、後白河法皇嗜虐性と見る見方もある。 しかしながら、京に伝えられ義家無間地獄伝承や、義家同時代人藤原宗忠が、その日記『中右記』に、「故義家朝臣年来武者長者として多く無罪の人を殺すと云々積悪余り遂に子孫に及ぶか」と記したことも合わせ考えると、義家に従って参戦した武者から伝え聞いた義家のひとつの側面であり実話見なしうる。 貞和版『後三年合戦絵詞詞書は、玄慧法印草したとあるので、表現自体玄慧のもの、絵自体飛騨守惟久の筆だが、同じ話は後白河法皇承安版『後三年絵』にも載っていたはずである。後白河法皇嗜虐性があったとすれば承安版の編集当たって、それを強調したことだろう。後白河法皇編纂した『梁塵秘抄』巻第二にある「棲む深山には、概ての棲むものか、同じき源氏申せども、八幡太郎恐ろしや」は、そのような言い伝え反映しているものと思われるまた、義家同時代人藤原宗忠が「多く無罪の人を殺すと云々積悪余り」というのは、以下に引用する部分符合するこのような部分義家賛美為に鎌倉時代以降に付け加えた、と思う人居ない。 此くだる所の稚女童部は、城中つはもの共の愛妻子どもなり。城中におらば夫ひとりくひて、妻子に物くはせぬ事あるまじ。おなじく一所にこそ餓死なんずれ。しからば城中の粮今すこしとく盡べきなりといふ。将軍是を聞て尤しかるべしといひて、降る所のやつどもみな目の前にころす。これをみて永く城戸をとぢてかさねてくだる者なし。 このような戦法は、異民族間の戦争においては現代でも見られることであるが、騎馬武者個人戦ベースとした京武者感覚には無い。出羽国吉彦秀武から出され作戦であることには真実みがある。

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