『奥州後三年記』の信頼性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 01:25 UTC 版)
「奥州後三年記」の記事における「『奥州後三年記』の信頼性」の解説
従来、貞和本『後三年合戦絵詞』以前にこの物語の成立は遡れないと考えられてきたが、『後三年記』にみえる丁寧語「侍り」の用法が院政初期の様相を呈していることや、『十訓抄』や『古今著聞集』にみえる後三年関係話よりも『後三年記』のほうが古い様相を留めていること、前九年合戦のことを指す熟語(「十二年合戦」「前九年合戦」など)が『後三年記』内部にみられないことなどから、院政初期の成立と考えられるに至っている(野中哲照は、天治元年(1124年)成立という踏み込んだ仮説を提示している)。
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