『危ない1号』創刊
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1995年7月より鬼畜系ムック『危ない1号』(データハウス/東京公司)を創刊。同誌は「鬼畜系」を標榜し、徹頭徹尾にわたり鬼畜・変態・悪趣味を等価に扱った。東京公司は創刊号冒頭に以下の声明文を発表している。 「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」(史上初のカルト・グル、ハッサン・イ・サバーの言葉)全ての物事には、数え切れないほどの意味やとらえ方、感じ方などがある。例えば、自殺。これを「悲しいこと」「負け犬がすること」とみなすのは、無数にある“自殺のとらえ方”のほんの一部に過ぎない。この世には、祝福されるべき自殺だってあるのだ。 あらゆる物事は、その内に外に、無数の“物語”を秘め、纏っている。『危ない1号』では、これら無数の物語の中から、他の本や雑誌ではあまり語られない物語だけを選びだして語るようにした。さらにその際、一つの物事が含み持つ無数の物語の全てを“等価”と考えるように心掛けた。(中略) この世に真実などない。あらゆる物事は、その内に外に“数限りない物語”を秘めている。そして、それらの物語は、人間様中心の妄想であるという意味で“全て等価”なのである。だから何を考えても許される。これが当ブックシリーズの編集ポリシーだ。 妄想にタブーなし! — 東京公司「はじめに」『危ない1号』第1巻 データハウス 1995年 2-3頁 文中に登場するハサン・イ・サバーという人物は、かつてイスラム教シーア派内イスマーイール派の分派ニザール派に存在した暗殺教団の最初の指導者で、東京公司はハサンの「真実などない。すべては許されている」という言葉を引用して「妄想にタブーなし!」と宣言した。 このムックが大ヒットしたことにより、青山は鬼畜ブーム・悪趣味ブームの立役者となるが、第1巻の校了直前に大麻取締法違反で逮捕される。結果的に執行猶予処分となり、同年8月末には保釈されたが、逮捕されたショックから青山はドラッグライターを事実上廃業し、これを境に仕事の打ち合わせに来なくなるなど引きこもりに近い状態になっていく。 また1994年11月には多発性後極部網膜色素上皮症(MPPE)という日本全国で症例50名前後という極めて希少な眼病を患い、後に青山が精神世界に傾倒する要因の一つとなった。 その後『危ない1号』に端を発した大々的な鬼畜ブームが起こるなか、仕掛人である青山はブーム化して濫造された悪趣味に幻滅する。1997年には『危ない1号』の愛読者であった酒鬼薔薇聖斗が神戸連続児童殺傷事件を起こす。 同年『危ない1号』第3巻の編集途中にドロップアウトし編集長を降板。東京公司もデータハウスに吸収される形で消滅する。青山は東京公司の母体であったデータハウスに移籍するが重度の鬱と薬物乱用で出社せず自宅に引きこもり、そのまま会社を辞職する。この頃になると青山は何一つ生産的なことを行わなくなっていた。
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