『原初年代記』のログネダとは? わかりやすく解説

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『原初年代記』のログネダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 03:54 UTC 版)

ログネダ・ログヴォロドヴナ」の記事における「『原初年代記』のログネダ」の解説

原初年代記』に基づいたログネダ生涯は以下のようなのであるログネダ父と共にポロツク暮らしていた。980年ノヴゴロド公だったウラジーミル(後のキエフ大公ウラジーミル1世)が求婚したが、ログネダは「奴隷息子履物を取るのはいやです」とウラジーミル評して求婚拒絶しキエフ大公ヤロポルク1世との結婚望んだ978年もしくは980年ウラジーミルヴァリャーグと共にポロツク侵略しログネダ捕らえて両親の前で彼女を強姦した。ついでログネダ2人の兄弟と父・ログヴォロドを殺した。さらに、キエフ攻めてヤロポルク1世殺しキエフ大公となってログネダ強制的に妻とした。伝説では、この時にログネダはゴリスラヴァ(悲しみの意)という名を授かったという。ウラジーミルには多くの妻と妃がおり、ログネダはルイベチ川の辺の街に置かれ、4人の息子2人の娘が生まれた988年には、ログネダの子イジャスラフがポロツク配置されている。ログネダはおそらくイジャスラヴリ(現ベラルーシザスラーウエ)で、1000年ごろ死去した

※この「『原初年代記』のログネダ」の解説は、「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の解説の一部です。
「『原初年代記』のログネダ」を含む「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の記事については、「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の概要を参照ください。

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