『原初年代記』のログネダ
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「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の記事における「『原初年代記』のログネダ」の解説
『原初年代記』に基づいた、ログネダの生涯は以下のようなものである。 ログネダは父と共にポロツクで暮らしていた。980年、ノヴゴロド公だったウラジーミル(後のキエフ大公ウラジーミル1世)が求婚したが、ログネダは「奴隷の息子の履物を取るのはいやです」とウラジーミルを評して求婚を拒絶し、キエフ大公ヤロポルク1世との結婚を望んだ。978年もしくは980年、ウラジーミルはヴァリャーグ等と共にポロツクを侵略し、ログネダを捕らえて両親の前で彼女を強姦した。ついでログネダの2人の兄弟と父・ログヴォロドを殺した。さらに、キエフを攻めてヤロポルク1世を殺し、キエフ大公となってログネダを強制的に妻とした。伝説では、この時にログネダはゴリスラヴァ(悲しみの意)という名を授かったという。ウラジーミルには多くの妻と妃がおり、ログネダはルイベチ川の辺の街に置かれ、4人の息子と2人の娘が生まれた。988年には、ログネダの子イジャスラフがポロツクに配置されている。ログネダはおそらくイジャスラヴリ(現ベラルーシのザスラーウエ)で、1000年ごろ死去した。
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