「階級章なき軍服」の時代(1965~85年)
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1965年、人民解放軍では紅軍の原点に帰るという「人民戦争論」の台頭により階級制度が廃止され、翌年に始まる文化大革命の重大な伏線となったが、この、近代国家の常備軍(しかも世界有数の人員規模を擁する)としては空前絶後の試みは、軍服にも当然多大な影響を与えた。 すなわち、人民解放軍の徽章類からは階級をはじめ軍種・兵科の区別を示す意匠が消え、全構成員が一律に赤い星の帽章(「八一」の意匠も廃される)と平行四辺形の赤い襟章を着けるようになった。また服自体にも礼服・常服の区別がなくなり、「五五式」の常服(2)を引き継いだ、人民帽・折襟の上着・ズボンのいわゆる「人民服スタイル」が全構成員・用途・場面で着用されるようになった。 陸軍はオリーブグリーンの制帽・上下、海軍は藍色の制帽・上下、空軍はオリーブグリーンの制帽・上着に濃い青色のズボンと、辛うじて生地の色によって軍種を区別するようになった。 この時期の解放軍の「赤い星を付けた人民服スタイル」は、紅衛兵の姿と共に、文化大革命期の中国情勢を伝える写真や映像において世界各地に強烈なインパクトを与え、中国に近い立場の国や毛沢東主義の影響を受けた各地の武装組織の軍服のみならず、先進諸国のファッションやステージ衣装にまで影響を与えた(「各国への影響」参照)。 その後この「六五式」軍服には1971年、74年、78年に改変が加えられた。71年、74年、78年の改変は基本的には生地材質の変更(それまで夏服でも綿製生地が主であったのが1978年からは薄地のシーチング生地に似た薄地が採用された等)や細かい部分の変更、装備品の更新などが中心であった。ただし1974年に海軍軍服には、「五五式」の将校と下士官・兵の区別に準じた指揮官と一般兵の区別が設けられ、前者は革製のひさしとあご紐のついた制帽と折襟の上着、後者は水兵帽、水兵服(襟章の代わりに、黒地の肩章に赤い四角形の徽章が付く)を着用するようになった(冬服は「五五式」よりやや明るめの紺色、夏服の上着は白)。また女性兵士用に開襟上着やつばなしの略帽が再び導入された。 六五式軍服の毛沢東と林彪(1967年1月) 軍上級司令員(蕭華、楊成武、1966年10月) 外套にウシャンカ着用の三軍儀仗隊(1972年2月21日、ニクソン大統領の中国訪問)
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