「穏健な反体制派」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 16:40 UTC 版)
「反体制派 (シリア 2011-)」の記事における「「穏健な反体制派」」の解説
「穏健な反体制派」は、イスラム過激派でないシリアの反体制派を指す。「自由」や「民主主義」をスローガンに掲げるが、シリアにおいては宗教的マイノリティのアラウィー派に属するアサドを倒し、多数派であるスンニ派の政権を作るというニュアンスが込められている。アメリカなどの諸外国(シリアの友人たち)に支援されているが、動員力が弱く、エジプト(2011年革命)やチュニジア(ジャスミン革命)で見られたような政府軍からの寝返りもほとんど起きていない。そのため政府軍の残虐さを国際社会に訴え、支援各国に軍事介入を呼び掛ける戦術をとっている。 当初はデモ活動を中心に行っていたが、2011年10月に政府軍から離脱した兵士が自由シリア軍と称する組織を結成すると、各地で暴力の応酬が本格化した。しかし自由シリア軍は当初から司令部が乱立して統制を失い(各地域の離脱兵に横の繋がりは殆ど無いが、当時著名になりつつあった自由シリア軍に便乗し、それぞれ独自に自由シリア軍を名乗っていたと考えられる。また、この様な傾向はイスラム国やアルカイダにも該当する)、2012年夏過ぎには士気・規律の低下により人心の離反を招いた。大同団結のために、2011年9月にはシリア国民評議会、2012年末にはシリア国民連合が結成されたが、いずれも失敗に終わっている。そのため比較的士気が高いイスラム過激派に反体制派の主導権を奪われており、自由シリア軍にアサド政権を倒せる見込みはないと見られている。反体制派の中でイスラム過激派が台頭していることが広く知られるようになると、支援の在り方を問われた欧米諸国は、2013年3月ごろから「穏健な反体制派」という言葉を使い始めた。当初はシリア国民連合など非武装組織を指していたが、徐々に非イスラム過激派武装勢力を指す言葉に変化した。自由シリア軍は2013年末に最高意思決定機関とみられていた「最高軍事評議会」がシリア国内に拠点を失い、2014年9月には国民連合から解散を命じられた。2016年現在、自由シリア軍はヌールッディーン・ザンキー運動、スルターン・ムラード師団、第13師団、ムジャーヒディーン軍など、複数の組織が個別に自称しているに過ぎないとされる。また欧米諸国は2014年9月以降、「穏健な反体制派」にアサド政権打倒ではなくISIL打倒を求めるようになり、支援の在り方も変化している。 2014年から2015年にかけて、首都ダマスカス近郊やシリア北部のアレッポ県・イドリブ県では、自由シリア軍などの「穏健な反体制派」武装勢力がイスラム過激派に駆逐されていった。特に、アメリカに支援されていた「ハズム運動」が、ヌスラ戦線に敗退したことで崩壊したことは、アメリカの「穏健な反体制派」支援政策に打撃を与えた。2015年9月以降は、穏健な反体制派もロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆によって爆撃され弱体化に拍車をかけた。 存亡の危機に立たされた「穏健な反体制派」は、イスラム過激派組織やクルド人民防衛隊との連携や、攻勢に転じているシリア政府軍との停戦交渉に応じた降伏などの結果、これら各勢力に駆逐されるか吸収され傘下となり、独立した主体としては事実上存在しなくなったとされる。
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