ヌスラとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/31 15:03 UTC 版)
ISILが台頭すると、アメリカはすでに武器の提供を受けていたハズム運動を含む反体制派に、ISIL打倒の役割を負わせるようになった。またこの頃になると欧米のスタンスは、ISIL打倒のための武器支援がアサド政権打倒につながればよいというものに変化した。 アメリカがアサド政権ではなくISILを攻撃対象とし、穏健な反体制派への支援を強化すると表明すると、ヌスラ戦線はそれまで手を結んでいた穏健な反体制派を攻撃し始めた。ヌスラ戦線が「イスラム国」を名乗るISILをライバルとみなし、ISILと並ぶ力があることを誇示するために地域秩序の形成を目指していたことが背景にあるとされている。その結果、10月31日にシリア革命派戦線は最後の主要拠点やそのリーダーの故郷の街を奪われた。11月1日には、ハズム運動も戦略拠点から撤退した。ヌスラ戦線の兵士たちはTwitterで、アメリカがハズム運動に供与した高性能な武器を手に入れたことをツイートした。これにより、穏健な反体制派は安全地帯とトルコからの補給路を失い、アメリカの対シリア戦略は見直しを迫られた。 2015年3月、アレッポ県ダーラ・イッザ一帯で活動していたハズム運動北部地区は、同県アターリブ一帯でヌスラ戦線に敗北し、ハズム運動からの離反を宣言した。同じころ、インターネット上でハズム戦線の解散が宣言された。残党は反体制派の連合組織シャーム戦線へ合流するとされた。
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