HTSとの勢力争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 00:14 UTC 版)
「シャーム自由人イスラム運動」の記事における「HTSとの勢力争い」の解説
アレッポの戦いでは、アレッポ・ファトフ軍(2015年5月結成)、新生ファトフ軍(2016年5月)、アレッポ軍(同年12月)をはじめとする連合体を結成が形成され、反体制派同士の連携を強化した。しかし、シリア政府軍との停戦が実現すると、反体制派同士は自らの支配地拡大をめぐって、内部分裂が再燃した。 2017年1月、JFSが他の反体制派拠点を襲撃したことで、ムジャーヒディーン軍、シャームの鷹旅団、シャーム戦線、イスラム軍、シャーム戦線、「命じられるまま正しく進め」連合、シャーム革命家大隊が「運動」に忠誠を誓い、イブン・タイミーヤ大隊、ミクダード・ブン・アムル旅団が「運動」に合流した。 一方でJFSはヌールッディーン・ザンキー運動、ハック旅団、アンサールッディーン戦線、スンナ軍と共に新組織タハリール・アル=シャーム(HTS)へと完全統合し、反体制派の武力統合を目指すことを宣言した こうして始まった「運動」とHTSの拡大競争では、HTSが圧倒的に優位な立場に立った。HTSに忠誠を誓った組織には「運動」傘下の組織が連合したハマー軍もあった。「運動」やHTSの軍門に降った組織のほとんどは、かつて自由シリア軍や「穏健な反体制派」として活動していた。 「運動」とHTSは3月初めの和解合意で勢力拡大競争を収束させたが、両者の散発的衝突は続いた。7月下旬には、HTSが「運動」の戦略拠点、イドリブ県バーブ・ハワー国境通行所に進軍し、周辺地域を制圧した。「運動」はバーブ・ハワー国境通行所から撤退し、通行所管理を文民に任せることで停戦した。 12月、シリア政府軍がISとの戦いをひと段落させると、イドリブ県一帯やダマスカス郊外県東グータの反体制派に戦力が向けられた。そこで、「運動」最高司令官ハサン・スーファーンはHTS指導者アブー・ムハンマド・ジャウラーニー、サウジアラビア人説教師アウドゥッラー・ムハイスィニーらとファトフ軍再興に向けた協議を行った。そしてイドリブ県一帯で反体制派がシリア政府軍に対して大規模な一斉反抗が試みられた。
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