反体制派とISIL
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 16:40 UTC 版)
「反体制派 (シリア 2011-)」の記事における「反体制派とISIL」の解説
ISIL(「イスラム国」)はその前身となる団体が2004年には既にイラクで活動していたが、2011年時点では勢力が衰退していた。そのころシリア内戦では、反体制武装勢力が思想・素性を詮索されることなく国外から資源を調達することができた。シリアの友人たち参加国のうち、サウジアラビア・トルコ・カタールはアサド政権の破壊のためにあえてイスラム過激派を支援していた。欧米諸国は、イスラム過激派を主力とする反体制派が「民主化」を志向しているとみなして黙認した。そのため、ISILは反体制派の中に紛れ込み、欧米諸国や一部アラブ諸国、トルコなど外部から寄せられる資源の受け取り手となることができた。革命後のチュニジア・リビアなどは、政情不安を避けるために過激派をシリアに送り出し、サウジアラビア・クウェートなどでは過激派に資金を提供していた。これらの行動は意図せざる結果としてISILの勢力を拡大した。一方、ロシア・イランなどは、ISILなどのイスラム過激派台頭がアサド政権の弱体化をもたらすとして、早い段階から警戒していた。 ISILがイラクへと勢力を伸張し、その悪影響を無視できなくなったシリアの友人たち参加諸国は、ISILをシリアにおける他の反体制派と峻別し、ロシア・イランと並行してISILに攻撃を加えるようになる。2015年12月の国連安保理決議2254号では、シリア内戦解決に向けたプロセスの開始と、プロセスからのテロ組織の排除、そしてテロとの戦いを掲げた。ここでいうテロ組織とは、ISILやヌスラ戦線に加え、「ISSG(国際シリア支援グループ International Syria Support Group)の合意と安保理の決議で定められた両組織とつながりのあるその他すべての個人・組織」を指すとされた。ロシア・イラン・アサド政権は、停戦に応じないすべての武装勢力を「テロ組織」と解釈して、それらの組織に「テロとの戦い」を仕掛けた。しかしISSGは、テロ組織に「穏健な反体制派」は含まれないとしてロシアなどと対立する。また、トルコは国内のクルド人勢力クルディスタン労働者党とつながりの深いロジャヴァをテロリストとみなし、勢力を拡大するロジャヴァに対抗してシリアに軍事介入を行った。このような諸外国の対立はISILが生き残るのに有利に働いた。
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