反体制派支配地の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 16:40 UTC 版)
「反体制派 (シリア 2011-)」の記事における「反体制派支配地の状況」の解説
反体制派のファトフ軍がイドリブを占領してから、同市で最も強い発言力を持ったのはサウジアラビア出身のアルカイダ活動家、アブドッラー・ムハイシニーであった。彼は市内に「シャリーア学院」、「教宣センター」、「訓練基地」などを開設し、、女性や子供を対象に宣伝・教育活動を行った。この手法はISILと類似していると指摘されている。「シリア国民同盟」などの諸派もイドリブ市に拠点を置こうとしたが、ムハイシニーが「イドリブ首長国」を宣言し、彼らを排除した。 イスラム過激派のヌスラ戦線とその同盟者は、支配下にあるイドリブ県においてISILのような「イスラム統治」を行った。まず政府支持者、次にキリスト教徒を公開処刑した。公開処刑はイスラム統治を受け入れさせるために、社会的に影響力が強い者や著名人を組織的に処刑したとされる。これにより、60万人いたイドリブ市民の4分の3は町を離れ、特にキリスト教徒は「一人もいなくなった」。彼らはイドリブ県地方部・ハマー県・ホムス県・沿岸地方などへ避難した。ファトフ軍がイドリブを占拠して2カ月以内に、住民に対してISIL占領地で見られるような「シャリーア的服装」を義務付けた。また、姦通罪に対する刑罰として女性を石打ちで処刑した。礼拝をしない者に対しては鞭打ち刑が執行された ヌスラ戦線は、イドリブ市やその周辺の住民から税金を取り、衛生・電気・水道・行政機能も管轄するようになった。背景には独自の統治機構を構築しているISILへの対抗心もあると指摘されている。しかし、税金に似合った行政サービスを提供する能力がないため、ISILやアサド政権のような求心力は持っておらず、市民のデモに対して屈したこともある。 政府支配地に包囲された反体制派支配地では、兵糧攻めによって食料・衣料品などが不足した。そのため、土があれば狭いスペースでも小麦やホウレンソウが栽培された。また、プラスチックのゴミを溶かして油(通称「ミクスチャー」)を抽出し、機械・電化製品の燃料として使用された。技術的にはディーゼル・石油・潤滑油などを精製できるが、爆発する危険性がある。包囲下にあった反体制派支配地のホムス北部では、「地元のパン」プロジェクト(2014年 - )がおこなわれた。これは、「自治体」が小麦栽培の必要物資を農家に供給し、農家は収穫した小麦を「地元政府」に優先的に売り、便乗値上げをしないと成約すれば、農家は人道支援団体や亡命した家族を保証人にして生産拡大のローンを組めるというもの。これによりこの反体制派支配地域のパン価格は下落した。 反体制派支配地域では物価が高騰しており、高給をもらう武装勢力の戦闘員を除いて生活は困窮している者が多い。ダルアー県では、反体制派支配地域からバスで物価の低い政府支配地域に長距離移動し、わざわざそこで買い物をする者も少なくなかった。そのため、高給な武装勢力の戦闘員になる若者が続出してたとされる。
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