「次善の政体」と「ソフィスト」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 06:07 UTC 版)
「政治家 (対話篇)」の記事における「「次善の政体」と「ソフィスト」」の解説
客人はこれまでの議論から、 単独者支配であれ、少数者支配/多数者支配であれ、「法律の尊重(法治主義)」が共通して望ましい。 ということを確認しつつ、さらに、 「蜜蜂の巣箱の中で女王蜂が自然に発生する」ような形で、各地の国家の中に「身体も精神も傑出した理想的な王者」が(突然変異的に)生じることは、現実にはあり得ない(すなわち、「王者がその「知識/技術」で統治する理想的(正当)な政体」は、現実にはあり得ない)。 ということを指摘した上で、 現実に人間国家が成し得ることは、「しかるべき者たちを一箇所に集合」させ、(「クロノスの時代」の)「理想政体」が(この「ゼウスの時代」に)残していった「足跡」のようなものを、それが消えてしまう前にいち早く見つけて追いかけ、それを「法典/法律」として記録/起草/立法する(そしてそれを護持し続ける)ことだけである。 ということを指摘する。ソクラテスも同意する。 しかし客人は、先の議論で出てきたように、実際の国家における「法治主義」は、「成文法」や「慣習(不文律)」によって国民の行動を規制しようとするものであって、その管理/規制下におかれたあらゆる「知識/技術」は廃れていってしまうのだから、そうした諸々の政体で、これまでもこれからも「無数の禍」が生じるのは当然のことであり、また数多くの国家は、「無知」でありながら自分には「知識/技術」があると思いこんでいる無能な「船長/水夫」に操縦された「難破船」のような有り様となり、これまでも滅亡してきたし、これからもそうなると指摘する。ソクラテスも同意する。 そして客人は、こうした「正当な政体」の不完全な「模写」に留まらざるを得ない「現実の諸々の政体」は、どれもそこに住む国民にとっては「耐え難い」ものではあるが、しいて言えばどれが「最も耐え難さが少ない」ものであるかを、述べていくことにする。 客人はまず、「単独者支配」「少数者支配」「多数者支配」の三分類を、先に出てきた「次善の原則」である「法律(法治主義)」の観点からそれぞれ明確に二分割し、以下のように全部で六等分する。(すなわち、以前は「民主政」を分割せずに五分類だったのを、今回は「民主政」も二分割した。) 単独支配者王政(バシレイア) - 法律遵奉 僭主政(テュランニス) - 法律軽視 少数者支配貴族政(アリストクラティア) - 法律遵奉 寡頭政(オリガルキア) - 法律軽視 多数者支配民主政(デモクラティア) - 法律遵奉 民主政(デモクラティア) - 法律軽視 そして客人は、 「法律遵奉」時には、「一者に権限が集中し、円滑かつ強力な国家運営が可能」な分、「王政」が最良であり、「権限が分散・細分化され、何一つ強力な措置を取り得ない政体」である「民主政」は最悪となり、「貴族政」はその中間となる。 逆に「法律軽視」時には、「横暴非道な行いが、制度的に分散・抑制される」という点で「民主政」が最良となり、「一者による横暴非道に歯止めが効かず、最も苛烈になる」という点で「僭主政」が最悪、「寡頭政」はその中間となる。 と指摘する。 法律遵奉時法律軽視時最良単独者支配(王政) 多数者支配(民主政) 中間少数者支配(貴族政) 少数者支配(寡頭政) 最悪多数者支配(民主政) 単独者支配(僭主政) また客人は、これらとは異なる「第七番目の政体」である「正当な(理想的)政体」は、「神」が「人間どもの群がる地上」を遥かに超えたところに居るのと同じように、こうした「あらゆる諸政体の、遥かかなたの上方」にその座を占めて、特別に神々しいのだとも指摘する。ソクラテスも同意する。 そして客人は、こうした「真の知識」を持った王者に統治された「正当な(理想的)政体」以外の、「(地上の)あらゆる政体」に(「知識/技術」を欠いたまま)参画している人々は、実際には「政治家」ではなくて、 「内紛的な党派指導者」 「最も大仕掛けな各種の幻影を擁護する者」であると共に、「種々の幻影そのもの」 「最も大仕掛けな物真似師/いかさま師」 「(各種のソフィストの中でも)最も大仕掛けなソフィスト」 なのであり、彼らを「王者/政治家」の部類から排除しなくてはならないと指摘する。ソクラテスも同意する。
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