「名古屋飛ばし」の終焉とその後
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「名古屋飛ばし」の記事における「「名古屋飛ばし」の終焉とその後」の解説
1997年に道床安定作業車の導入により、路盤安定の技術の進歩によって保線工事の翌日の速度制限(170km/h)の必要性が無くなった事から、新横浜・名古屋・京都の各駅に停車しながら 東京 - 新大阪間を2時間半で結ぶことが可能となったため、同年11月29日に「のぞみ301号」は後続の「のぞみ1号」(500系)に統合される形で廃止された。以後、名古屋駅と京都駅を通過する新幹線列車は存在していない。 現在の東海道新幹線は、車体傾斜装置のついたN700Aと N700Sのみで運行している。これによりカーブでも高速での走行が可能になったので、「旧のぞみ301号」と同じく6:00に東京駅を出発している「のぞみ1号」は、停車駅が3駅増えたのにも関わらず、「旧のぞみ301号」よりも8分早く8:22に新大阪駅に到着している。 2012年1月9日に名古屋テレビが放送した『あなたが選ぶ!東海地方の心に残るニュース50選』の「社会&政治経済」では「名古屋飛ばし」が13位に選ばれた。 当時の名古屋飛ばしの渦中で、JR東海の方針に対しに抗議していた鈴木礼治元愛知県知事は2006年の中日新聞のインタビューで[要文献特定詳細情報]今から考えれば、たかが一本。過剰な反応にも見えるがなぜなのか?との問いに「いやあ、前々から心配しとったもんでねぇ…」と当時を語った。鈴木の話は、遡る事1964年10月1日の東京・新大阪間の東海道新幹線の開通である。当時、4時間掛かっていた東京・名古屋間のつばめが新幹線の開通で2時間半となり、名古屋市は新幹線の便利さを歓迎したが、その半年後の1966年に週刊誌で衝撃的な記事が掲載された。記事内容には当時日本開発銀行調査役の佐貫利雄の記事で「東京と大阪以外は商売はダメになる!」の記事の冒頭で、東海道新幹線の開通でやがて名古屋は「空中分解の運命にある」、「新幹線で結ばれた東京・大阪の東西二大都市がますます高い山となり、名古屋はその「谷間」に沈む」と指摘されていた。当時愛知県庁の企画課長であった鈴木にはその実感があり、佐貫利雄の著書を読み漁っていた。「つばめの頃は名古屋が東京に取り込まれる感じは無かったが、新幹線が開通した途端、多くの企業や会社が名古屋の支店を東京に引き揚げたり、格下げにしたりされてね」と言い、その後も名古屋が飛ばされる事への不安が続いた為、のぞみ301号の名古屋駅通過で再び名古屋が飛ばされ、あの時と同じ事になるじゃないかと危機感があったと鈴木は語る。
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