「名古屋飛ばし」の終焉とその後とは? わかりやすく解説

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「名古屋飛ばし」の終焉とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:33 UTC 版)

名古屋飛ばし」の記事における「「名古屋飛ばし」の終焉とその後」の解説

1997年道床安定作業車導入により、路盤安定技術の進歩によって保線工事翌日速度制限(170km/h)の必要性無くなった事から、新横浜名古屋京都の各駅に停車しながら 東京 - 新大阪間を2時間半で結ぶことが可能となったため、同年11月29日に「のぞみ301号」は後続の「のぞみ1号」(500系)に統合される形で廃止された。以後名古屋駅京都駅通過する新幹線列車存在していない。 現在の東海道新幹線は、車体傾斜装置のついたN700AN700Sのみで運行している。これによりカーブでも高速での走行可能になったので、「旧のぞみ301号」と同じく6:00東京駅出発している「のぞみ1号」は、停車駅が3駅増えたにも関わらず、「旧のぞみ301号」よりも8分早く8:22新大阪駅到着している。 2012年1月9日名古屋テレビ放送した『あなたが選ぶ!東海地方心に残るニュース50選』の「社会&政治経済」では「名古屋飛ばし」が13位に選ばれた。 当時名古屋飛ばし渦中で、JR東海方針対し抗議していた鈴木礼治愛知県知事2006年中日新聞インタビューで[要文特定詳細情報]今から考えれば、たかが一本過剰な反応にも見えるがなぜなのか?との問いに「いやあ、前々から心配しとったもんでねぇ…」と当時語った鈴木の話は、遡る1964年10月1日東京新大阪間の東海道新幹線開通である。当時4時掛かっていた東京名古屋間のつばめが新幹線開通で2時間半となり、名古屋市新幹線便利さ歓迎したが、その半年後の1966年週刊誌衝撃的な記事掲載された。記事内容には当時日本開発銀行調査役佐貫利雄の記事で「東京大阪以外は商売ダメになる!」の記事冒頭で、東海道新幹線開通でやがて名古屋は「空中分解運命にある」、「新幹線結ばれた東京・大阪の東西大都市がますます高い山となり、名古屋はその「谷間」に沈む」と指摘されていた。当時愛知県庁企画課であった鈴木にはその実感があり、佐貫利雄の著書読み漁っていた。「つばめの頃は名古屋東京取り込まれる感じ無かったが、新幹線開通した途端多く企業会社名古屋支店東京引き揚げたり、格下げにしたりされてね」と言いその後名古屋飛ばされる事への不安が続いた為、のぞみ301号の名古屋駅通過で再び名古屋飛ばされあの時と同じ事になるじゃないか危機感があったと鈴木は語る。

※この「「名古屋飛ばし」の終焉とその後」の解説は、「名古屋飛ばし」の解説の一部です。
「「名古屋飛ばし」の終焉とその後」を含む「名古屋飛ばし」の記事については、「名古屋飛ばし」の概要を参照ください。

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