「ストロングプログラム」と「エジンバラ学派」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:39 UTC 版)
「科学社会学」の記事における「「ストロングプログラム」と「エジンバラ学派」」の解説
科学者集団が社会の影響を受けるとするのみならず,科学知識もまた社会の影響を被る(科学知識の社会構築性)とするSSKが,科学の客観性に疑問を投げかける形で科学の社会性を分析することは必然的だった。なぜなら異なった社会では、異なった科学のあり方があり得るからである。中でも最も典型的と言われたのが,エジンバラ大学のデイヴィッド・ブルア(英語版)が提唱した「ストロング・プログラム(英語版)」である。ブルアはマートン流科学社会学が科学の合理的な部分を社会学的分析の対象から外したことを批判し、科学知識の内容にまでふみこみ、その社会的原因を分析するのが社会学者のつとめであると提唱した。この科学知識の社会学(SSK)という言葉もブルアが導入したものである。 「ストロング・プログラム」は,具体的には1976 年のブルアの『知識と社会表象』 (Bloor 1976) で科学知識社会学を行う上で受け入れるべき四つの信条 (tenets) という形で提示された。四つの信条とは、 (1) 因果性:科学知識は社会的な原因をふくむ様々な原因によって生成される (2) 公平性:正しい(合理的な)信念も間違った(不合理な)信念も、どちらも説明を要する (3) 対称性:正しい信念も間違った信念も同じタイプの原因によって説明される (4) 反射性:以上の三つの前提は社会学自身にも適用される エジンバラ大学では、この後、スティーブン・シェイピン(英語版)やドナルド・マッケンジー(英語版)といった研究者が「ストロング・プログラム」を実践した研究を発表し、「エジンバラ学派」と呼ばれるようになった。エジンバラ学派の具体的な研究として、ドナルド・マッケンジーによる統計学の誕生に関する研究 (MacKenzie 1981) がある。マッケンジーは、初期の統計学上の論争(バイオメトリックスとメンデル主義の論争など)でのフランシス・ゴルトンらの立場が、彼らが優生学を支持していたことに影響されており、優生学について有利な研究成果が出されたことを指摘する。また、当時(19世紀末から20世紀初頭)のイギリスでの優生学の支持者たちの多くは専門職をもつ中産階級であることから、彼らの階級的利害が優生学の推進に反映されていることも指摘された。 もうひとつ、エジンバラ学派の成果として、スティーヴン・シェイピンとサイモン・シャッファー(英語版)のボイル=ホッブズ論争の分析では、ロンドン王立協会とそのメンバーの権威がロバート・ボイルに有利に働いたと示唆されている。ボイルのエアポンプの実験の多くは王立協会の会議室で行われ、立会人となった人々の社会的な信用が、実験そのものの信憑性を高めるために利用された。これとは対照的に、ボイルに対する反論者ヘンリー・モアが漁師の水中での体験を引き合いに出したことに対し、ボイルは漁師が無学であるという理由でそうした証言そのものの信憑性を否定し、それが受け入れられたことが示されている。
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