川崎製鉄 川崎製鉄の概要

川崎製鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 17:43 UTC 版)

川崎製鉄株式会社
Kawasaki Steel Corporation
種類 株式会社
市場情報
東証1部 5403
1950年10月2日 - 2002年9月19日
略称 川鉄
本社所在地 兵庫県神戸市中央区北本町通一丁目1番28号
設立 1950年昭和25年)8月7日
業種 鉄鋼
事業内容 鉄鋼の製造・販売
代表者 數土文夫(取締役社長
資本金 2396億44百万円
売上高 連結:1兆1157億円
営業利益 連結:789億円
純利益 連結:217億円
総資産 連結:1兆7903億円
決算期 3月31日
特記事項:各種経営指標は2003年3月期
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1950年川崎重工業兵庫県神戸市)より独立して発足してから、2003年日本鋼管(NKK)との間で事業統合しJFEスチールに商号を変更するまで、この川崎製鉄を商号とした。この項目では、JFEスチールが川崎製鉄という商号であった期間について記述する。

概要

高炉を所有し、鉄鉱石を原料に最終製品の鋼材の生産までを一貫して行う、「高炉メーカー」と呼ばれる比較的大規模な鉄鋼メーカーの一つ。年間の粗鋼生産量ベースで、新日本製鐵(新日鉄・現:日本製鉄)・NKKに次ぐ日本国内で3番目の鉄鋼メーカーであった[1]鋼板条鋼鋼管など鉄鋼製品を製造・販売する「鉄鋼事業」を中心に、製鉄設備・パイプライン橋梁鋼構造建築物などの設計・建設を行う「エンジニアリング事業」、化成品(主にコールタール加工品の石炭化学品)を製造・販売する「化学事業」を手がけた。

本社兵庫県神戸市千葉県千葉市にある千葉製鉄所と、岡山県倉敷市にある水島製鉄所の東西2か所の銑鋼一貫製鉄所を拠点とした。東京証券取引所(東証)・大阪証券取引所(大証)・名古屋証券取引所(名証)の第一部と、福岡証券取引所(福証)に株式上場していた(証券コードは「5403」)。

前身は川崎重工業(旧・川崎造船所)の鉄鋼部門で、戦後の企業再建の一環として1950年に同社より独立した。独立後の1953年に会社初の銑鋼一貫製鉄所の千葉製鉄所を建設し高炉メーカーへと転換。さらに1967年には水島製鉄所を建設した。1980年代以降は事業が多角化し、鉄鋼事業だけではなくエンジニアリング事業や集積回路 (LSI) を製造するLSI事業などにも進出した。

2000年に、国内2位のNKKと物流・補修・購買の3分野で提携した。このNKKとの関係は事業統合・再編へと発展し、第一段階として2002年9月に両社の持株会社となるJFEホールディングスを設立し、「JFEグループ」を創立。翌2003年4月に両社間で事業再編が実施され、NKKの鉄鋼事業を統合してJFEスチールへと商号を変更し、JFEグループの鉄鋼事業を担当する企業へと転換した。

沿革

  • 1950年
    • 8月7日 - 川崎重工の鉄鋼部門および兵庫・葺合・久慈・西宮・伊保・知多の6工場を引き継ぎ、川崎製鉄株式会社発足。
    • 8月11日 - ドラム缶の製造を開始。
    • 10月2日 - 東証・大証・名証・福証に株式を上場。
  • 1951年2月1日 - 千葉製鉄所を開設(1953年6月17日高炉火入れ)。
  • 1954年3月31日 - 伊保工場廃止。
  • 1959年2月5日 - 川鉄化学設立、順次化学部門(コークス製造部門を含む)を同社へ移管。
  • 1961年7月1日 - 水島製鉄所を開設(1967年4月18日高炉火入れ)。
  • 1967年10月31日 - 久慈工場廃止。
  • 1968年11月1日 - ドラム缶部門を川鉄コンテイナーに譲渡。
  • 1971年8月31日 - 兵庫工場廃止。
    • 1971年11月1日 - 鋼索部門を川鉄鋼線工業(後の川鉄テクノワイヤ)に譲渡。
  • 1973年11月 - 計量器部門を川鉄計量器(後の川鉄アドバンテック)に譲渡。
  • 1976年8月1日 - エンジニアリング事業の本格化に伴い、エンジニアリング事業部が発足。
  • 1984年4月1日 - 川鉄化学を合併、化学事業部が発足。
  • 1985年
  • 1986年9月 - アメリカの鉄鋼メーカー・カリフォルニア・スチール・インダストリーズに資本参加。
  • 1990年
    • 6月11日 - アメリカにシリコンウェハーメーカーのカワサキ・ウェーハ・テクノロジーを設立。NBKとの関係は解消。
    • 8月1日 - LSI事業部発足。
    • 10月16日 - LSI宇都宮工場が完成。
  • 1992年3月1日 - システム・エレクトロニクス事業部発足。
  • 1994年
    • 4月1日 - 川鉄鉄構工業から橋梁鉄構事業の営業譲渡を受け、橋梁・鋼構造事業部が発足。
    • 5月23日 - カワサキ・ウェーハ・テクノロジーをアメリカのMEMCに売却、シリコンウェハー事業から撤退。
    • 10月1日 - システム・エレクトロニクス事業部を川鉄情報システムに統合。
  • 1995年
    • 1月26日 - 日本セミコンダクターをLSIロジックに売却。
    • 7月1日 - エンジニアリング事業部を改組しエンジニアリング事業本部発足、その下部に製鉄・プラント事業部・鉄構事業部・エネルギー・水道事業部・建設事業部などが発足。
    • 12月31日 - 水島製鉄所神戸地区(旧・葺合工場)での生産を終了。
  • 1996年7月1日 - エンジニアリング事業本部鉄構事業部と橋梁・鋼構造事業部を統合し、橋梁・鉄構事業部が発足。
  • 1998年7月1日 - エンジニアリング事業本部解体に伴い、製鉄・プラント事業部・エネルギー・水道事業部・建設事業部・環境事業部が発足。
  • 1999年
    • 7月 - 橋梁・鉄構事業部千葉工場の設備を、同事業部播磨工場へ移設。
    • 8月5日 - 韓国の鉄鋼メーカー・東国製鋼と技術協力や資本参加等の提携を発表。
  • 2000年
    • 4月 - NKKと物流・補修・購買の3分野で提携。
    • 11月16日 - 韓国の鉄鋼メーカー・現代鋼管(現・現代ハイスコ)との提携を発表。
  • 2001年
  • 2002年
  • 2003年4月1日 - NKKとの間で事業再編。会社分割により川鉄は、エンジニアリング事業をNKK(JFEエンジニアリングに商号変更)へ、都市開発事業をJFE都市開発へ、基盤技術開発事業をJFE技研へ分社し、NKKの鉄鋼事業を継承してJFEスチール株式会社に商号変更。また、化学事業をJFEケミカルに、橋梁鉄構事業を川鉄橋梁鉄構に分割。

ツバロン製鉄との関係

日本の鉄鋼メーカーが他国の鉄鋼業に参画する例は1950年代後半以降ウジミナスブラジル)や宝山鋼鉄中華人民共和国)などがあるが、川鉄はブラジルのツバロン製鉄 (Companhia Siderúrgica de Tubarão S.A., CST) の計画に携わった。

計画が浮上したのは1970年代前半で、当時千葉・水島製鉄所を建設していた川鉄は、第3の拠点の建設を目指していた。1973年、川鉄がツバロン製鉄のプロジェクトに参画することが決定する。そして1974年、ブラジル政府が推進主体として設立した鉄鋼公社・シデルブラスと、イタリアのフィンシデルの3社の共同出資で、ツバロン製鉄が設立された。9年後の1983年11月、エスピリトサント州ヴィトーリアにおいて銑鋼一貫製鉄所の火入れが行われ、ブラジルで4番目の一貫製鉄所として操業を開始した。

操業開始後も取引・資本関係を持ち、JFEグループの発足後も資本関係があったが、2005年に当時約10%保有していたツバロン製鉄の株式をすべてアルセロール(現・アルセロール・ミッタル)に売却したため資本関係が解消された。その後ツバロン製鉄はアルセロール・ミッタルのグループ会社となり、2007年にアルセロールミッタル・ツバロン (ArcelorMittal Tubarão) に社名を変更している。


  1. ^ NKKとの経営統合(2002年)直前の、2001年時点。


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