しょし‐ひゃっか〔‐ヒヤクカ〕【諸子百家】
諸子百家
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- ^ 伊東倫厚・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『諸子百家』 - コトバンク
- ^ 『荘子』天下篇、『荀子』非十二子篇など
- ^ 『韓非子』顕学篇
- ^ 『史記』太史公自序の「論六家要旨」。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:論六家要旨
- ^ a b c d e f g 関口順・濱口富士雄 著「諸子学」、溝口雄三; 丸山松幸; 池田知久 編『中国思想文化事典』東京大学出版会、2001年、348-355頁。ISBN 978-4130100878。
- ^ 鶴間和幸『始皇帝の愛読書 帝王を支えた書物の変遷』山川出版社、2023年。ISBN 978-4-634-15216-8。192頁。
- ^ 井ノ口哲也『入門 中国思想史』勁草書房、2012年。ISBN 978-4326102150。 「第三章 国家統一のための政治思想―秦・前漢」
- ^ “唐宋変革期における諸子学の隆盛及び中唐古文家との関係”. KAKEN. 2023年10月16日閲覧。
- ^ 三浦秀一「明代諸子学史略 ─ その形成過程を論じ地平の拡張に及ぶ ─」『集刊東洋学』第119巻、2018年。
- ^ 小林武『中国近代思想研究』朋友書店、2019年。ISBN 9784892811784。 「第三編 清末の諸子学と異文化受容」
- ^ 松井真希子. “徂徠学派における中国先秦諸子研究―文化交渉学の視点から”. KAKEN. 2023年10月21日閲覧。
- ^ 土屋紀義・佐々木研太『江戸時代の呂氏春秋学:山子学派と森鐵之助・新出注釈二種』中国書店、2017年。ISBN 978-4903316581。
- ^ 町田三郎「力作の『管子纂詁』」『江戸の漢学者たち』研文出版、1998年、ISBN 978-4876361557。
- ^ B.A.エルマン 著、馬淵昌也・林文孝・本間次彦・吉田純 訳『哲学から文献学へ: 後期帝政中国における社会と知の変動』知泉書館、2014年。ISBN 978-4862852007。 p. 339f(馬淵昌也解説)
- ^ 西山尚志「諸子百家はどう展開したか」『地下からの贈り物 新出土資料が語るいにしえの中国』中国出土資料学会、東方書店、2014年。ISBN 978-4497214119
- ^ 金文京「中国目録学史上における子部の意義 : 六朝期目録の再検討」『斯道文庫論集』第33号、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、1998年 。
- ^ “全國漢籍データベース 四庫提要”. kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp. 2023年11月22日閲覧。
諸子百家
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詳細は「諸子百家」を参照 諸子百家は春秋戦国時代に栄えた哲学者・学派である。同時代に中国では大きな文化的・知的発展が起こった。同時代の後半は混乱と血みどろの戦闘を含むにもかかわらず、中国哲学の黄金時代としても知られる、というのはこの時期に広い範囲の思想・思考が自由に討論され、発展したからである。この時代に討論され洗練された思想・思考は東アジアの国々で今日に至るまで生活様式・社会意識に大きな影響を与えてきた。この時代の知識人の社会は旅をする学者の存在によって特徴づけられる。彼らはしばしば様々な国の為政者に参謀として召し抱えられ内政・戦争・外交に関して助言を授けた。この時代は秦王朝による中国統一とそれに続いて起こった焚書坑儒によって終わりを告げた。漢書には10の主な学派が列挙されている: 儒学、人間は特に自己修養・自己創造を含む個人的・社会的努力を通じて学び発展して完全になることができると教える。儒学の主な思想は徳の修養と道徳的な完成度の発展である。儒学は、基本的な道徳的価値である「仁」と「義」を維持するために受動的であるにしろ能動的であるにしろ必要ならば人は自らの命を捨てるべきであると考える。 法家、人の本性は利己的であって矯正できないと説く。それゆえ、社会秩序を維持する唯一の方法は人々の上に規律を課し、法律の厳格な施行を計ることである。このことを法家は何よりも上に置き、大衆の富の上での繁栄と軍事力増強を図った 道家、三宝、つまり、「慈」(同情心、憐み)、「儉」(節度、節制)、「不敢為天下先」(謙遜)を重要視する哲学。ただし道教徒は概して自然、人と宇宙の関係、健康と長寿、無為(活動しないことを通じた活動)に重点を置いていると考えられてきた。宇宙、つまりそれ自身から起こってくるもの(道)との調和は多くの道教徒の規則と実践の意図された結果である。 墨家、普遍的な愛という考えを唱道する。墨子は「天の前では皆平等である」、また、全ての人を分け隔てなく愛することで疑似的な天国を作ろうとするべきだと考えた。その認識論は原始的な唯物論的経験主義とみなされる。彼は人間の認識力は人間の抽象化にその要素に基づく想像力や直観的な論理の代わりにその知覚能力―視覚や聴覚のような感覚的経験―に基づくと考えた。墨子は倹約を推奨し、墨子が贅沢だと非難した音楽や儀式を重要視している点で儒家を非難した。 陰陽家、陰陽説と五行説を統合する。騶衍はこの学派の始祖だと考えられている。 農家、農民のユートピア的共産主義を唱道する。中国社会は古代の賢王神農の時代のそれに倣って作られるべきだと農家は考えた。神農は民俗的な英雄で中国文学の中で「皆とともに実地で働き、決定が届く限りの皆のことを考慮している」と描写される。 名家、定義と論理を重視する。古代ギリシアのソフィストや弁証家[要曖昧さ回避]と相似であるとされる。最も著名な名家は公孫竜である。 縦横家、倫理的な原理の代わりに実践的な事柄に重点を置き、そのため政治・外交的戦略、議論・ロビーイングの腕前を強調した。この学派の学者は有能な演説家・議論家・戦略家であった。 雑家、別の学派の教えを統合する。例えば、呂不韋は様々な学派の学者を見出して共同して『呂氏春秋』と呼ばれる著書をものした。様々な学派の美点をまとめ、各学派にみられる欠点に関してはこれを避けた。 小説家、思想において独特な点のない学派だが市井の人々が議論した、市井の人々に由来する全ての思想よりなる哲学である。 もう一つの学派は兵家であり、戦術と戦争哲学を研究した。孫子と孫臏が影響力の高い指導者である。しかしながら、この学派は漢書に定義された「十家」の一つではない。
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諸子百家
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詳細は「諸子百家」を参照 紀元前500年頃、周王朝が衰退して中国が春秋時代に入ったのち、中国哲学の古典期が始まる(興味深いことにこの時期は最初のギリシア哲学と一致している。枢軸時代を参照)。これは諸子百家として知られている。この時期は中国哲学の黄金時代とみなされている。春秋時代とそれに続く戦国時代の多くの学派のうちで、儒家、道家、墨家、法家の4学派が最も影響力が強かった。
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諸子百家
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「en:Rectification_of_names」および「名家 (諸子百家)」も参照 以上のような諸々の「正名」に先立って、戦国時代の諸子百家も「正名」を論じていた。具体的には、『荀子』正名篇、『呂氏春秋』正名篇・審分篇、『墨子』墨辯、『公孫龍子』、『尹文子』、『鄧析子』、『管子』などで「正名」が用いられている。また「正名」という語句に限定せず、「名」「実」「君臣父子」などの語句について言えば、諸子百家全般で頻繁に用いられている。 諸子百家における「名」は、「言葉」と「名分」の両方の意味が混在していた。さらにそれだけでなく、第三・第四の意味が混在することもあった。例えば、賞罰術・黄老思想(形名思想・刑名思想)に関する文脈で「正名」が用いられたり、「名声」「名誉」に関する文脈で「名実」が用いられたりすることもあった。一方で、20世紀の諸子百家研究においては、そのような「名」の多義性を差し置いて、諸子百家の「正名」は西洋の「論理学」に対応する概念である、としばしば解釈されてきた。そのような「論理学」説は、21世紀現在では批判の対象になっている。 「正名」「名」「実」「君臣父子」などの語句は、諸子のなかでもとりわけ、『荀子』が頻繁に用いている。上述の荻生徂徠は、『読荀子』において『荀子』正名篇を自身の言語論に取り込む形で解釈している。 『孟子』は、「正名」という語句は用いないものの、「名」「実」「君臣父子」などの語句は『荀子』に劣らず頻繁に用いている。特に『孟子』滕文公下篇では、楊朱・墨翟の為我説・兼愛説を、「君臣父子」を無みする邪説として非難した上で、そのような邪説を打破するために孟軻は「辯」を好むのだ、と語られる。そのような背景のもと、『孟子』告子上篇では具体的な「辯」が展開される。なお、『孟子』滕文公下篇の同じ章は、『春秋』孔子制作説の由来にもなっている。 儒家以外では、とりわけ『公孫龍子』『尹文子』『鄧析子』といった名家がこれらの語句を頻繁に用いている。班固の『漢書』芸文志における諸子百家の説明(zh:九流十家)では、名家という集団について説明する際、彼らを古代の「礼官」に由来する集団と推定した上で、孔子の「正名」を引用している。また、清代の章学誠は著書『校讐通義』で、上述の『爾雅』にまつわる儒学者たちの営為を、「辨名正物」と表現した上で、名家に連なる営為とみなしている。 儒家・名家と並んで、法家・雑家の『呂氏春秋』『管子』『韓非子』『商君書』などもこれらの語句を頻繁に用いている。「名分」と関わる儒家思想の「三綱」(君臣間・父子間・夫婦間の恭順)は、本来は儒家ではなく法家の思想だった、とする指摘もある。 以上のような諸子百家の延長線上に位置する形で、新出文献の馬王堆帛書『黄帝四経(中国語版)』や、前漢の董仲舒に帰される『春秋繁露』でも、「正名」が用いられている。
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