いんよう‐か〔インヤウ‐〕【陰陽家】
おんよう‐け〔オンヤウ‐〕【▽陰陽家】
陰陽家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/25 16:25 UTC 版)
陰陽家(いんようか[1])は、古代中国戦国時代を中心に活動した諸子百家の一派。主な人物に鄒衍(騶衍)がいる[2]。陰陽五行思想を発展させ王朝交替説(五徳終始説)などを説いた[2]。現存する文献が乏しいため、実態は不明な点が多い[3]。
概要
陰陽五行思想(陰陽思想と五行思想[注釈 1])により天地自然の法則性を知り、そこから天人相関説により人間の吉凶禍福を予知した[2]。とくに五徳終始説という王朝交替説を提唱した[2]。
陰陽五行思想そのものは、陰陽家より前の殷代からあり、儒家の『易経』『書経』や、一般の占い(術数)にも使われていた[2]。後には雑家の『呂氏春秋』や『管子』、道教、日本の陰陽寮などにも使われた[2]。
「陰陽家」という学派区分は、戦国時代当時には無く、漢代の司馬談『論六家要旨』や、班固『漢書』芸文志が後付した区分である[2][注釈 2]。『漢書』芸文志では、鄒衍とその後継者の鄒奭のほか、公孫発(公孫發)、秦漢の張蒼らが「陰陽家」とみなされ、『鄒子』などの書名が記録されているが[5]、断片的にしか現存しない[6]。
鄒衍・鄒奭の学説はそれぞれ壮大・流麗だったとされ、「談天雕龍」という成句になっている[7][2]。
新出文献として、北大漢簡『陰陽家言』(2015年公刊、書名は仮称)などがある[3]。
思想
関連項目
脚注
注釈
- ^ 陰陽思想と五行思想は元々別個の思想だったが、戦国時代から漢代にかけて融合した。
- ^ 『漢書』芸文志より後の目録学・四部分類においては、『隋書』経籍志の時点で「陰陽家」は「術数」に吸収されて消滅している。[4]
出典
- ^ 『陰陽家』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h 江連隆『諸子百家の事典』大修館書店、2000年。ISBN 978-4469032109。136-167頁。
- ^ a b 湯浅邦弘「時令説の展開 : 北京大学竹簡『陰陽家言』、銀雀山漢墓竹簡「陰陽時令・占候之類」を中心として」『漢字學硏究』6、立命館大學白川靜記念東洋文字文化硏究所、2018年、NAID 40021834246。1頁。
- ^ 金文京「中国目録学史上における子部の意義 : 六朝期目録の再検討」『斯道文庫論集』第33号、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、1998年 。202頁。
- ^ 漢書卷29~30 第87頁 (圖書館) - 中国哲学書電子化計画
- ^ 馮友蘭 著、柿村峻・吾妻重二 訳 『中国哲学史 成立篇』富山房、1995年。ISBN 457-2009023。238f頁。
- ^ 『談天彫龍・談天雕龍』 - コトバンク
陰陽家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 03:10 UTC 版)
賀茂氏 賀茂忠行……安倍晴明の師 賀茂保憲……忠行の子。 賀茂光栄……保憲の子。 安倍氏 安倍晴明……平安期を代表する陰陽家。 安倍吉平……晴明の長男。 安倍吉昌……晴明の次男。 安倍宗明……晴明の玄孫。 安倍泰長……晴明の玄孫。 安倍泰親……泰長の子。その名声により「指御子」と呼ばれる。 安倍宗明……親宗の子。宗明流の祖。 安倍広賢……宗明の子。天文博士。 その他 智徳法師 道摩法師……蘆屋道満とも。
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陰陽家
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鄒衍 - 中国戦国時代の陰陽家。斉の稷下の学士の一人。著作として『鄒子』49篇と『鄒子終始』56篇が挙げられているが、いずれも現存していない。
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陰陽家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)
詳細は「陰陽家」を参照 陰陽家は西洋では自然主義派(英:The School of Naturalists、西:La Escuela de los Naturalistas、伊:La Scuola dei Naturalisti、波:Szkoła naturaliści、芬:Naturalistien koulukunta など)とも呼ばれていて、陰陽思想と五行説を組み合わせた戦国時代の哲学である。鄒衍がこの学派の始祖とされている。彼の理論は自然の基本的な力を表す術語、つまり相補的な動作主体の陰と陽および五行(金木水火土)で宇宙を説明しようとしたものである。かつては、この理論は燕および斉といった国と最も強く結び付けて考えられた。時代が下ると、こういった認識論的な理論は哲学及び民間信仰のうちで重要性を保った。この学派は中国医学の枠組みに吸収されたのと同じだけ儒家や道教などにも吸収されていった。陰陽家に関する現存する最初期の記録は馬王堆帛書や黄帝内経に見いだされる。
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