けいけん‐しゅぎ【経験主義】
経験論
経験主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:19 UTC 版)
経験主義は実在論の一種であるが、数学がアプリオリに知られうるということを全く否定するものである。経験主義は、ちょうどすべての他の科学の事実がそうであるように、我々は経験的な探求によって数学的事実を発見する、とする。経験主義は、20世紀初頭に唱導された古典的な3つの立場とは別に、同世紀中葉に最初に成立した。ただし同様の見解は先駆的にはジョン・スチュワート・ミルが提起していた。ミルの見解は広く批判された。なぜなら、その見解に従えば、「2 + 2 = 4」のような言明でも不確実で偶然的な真理にすぎず、2個の事物が2組合わさると4つとなることを観察することによってしか学ぶことができないものとされてしまうからである。 クワインとパトナムによって定式化された現代の数学的経験主義の主な論拠は、不可欠性論法(英: indispensability argument)である。これは、数学は全ての経験科学にとって不可欠であり、もし我々がその科学によって記述される現象の実在性を信じたいのであれば、我々はその記述のために必要とされるそれらの事物の実在性もまた信じなくてはならない。つまり、電球があのように振舞うのは何故なのか述べるために物理学は電子に言及しなければならないのだから、電子は実在しているはずである。科学がその説明を提供するのに数について語る必要があるのだから、数は実在しているはずである。クワインとパトナムの哲学全体からは、これは自然主義的な議論である。この立場は数学的対象の存在を経験の最善の説明として論じ、そのようにして、数学からそれを他の科学から区別しているものを剥ぎ取る。 パトナムは「プラトニスト」という言葉を、いかなる本当のいみでの数学的実践にも必要とされない特定の存在論を示唆する言葉として、強く拒否した。彼は一種の「純粋な実在論」(英: pure realism)を擁護した。それは、真理についての神秘的な考え方を拒否し、数学における準経験主義を大いに受け入れるものであった。彼は、「純粋な実在論」という言葉を生み出すことにかかわった(後述)。 数学についての経験主義的な見解へのもっとも重要な批判は、ミルに対して提起されたものとおおよそ同じである。もし数学が他の科学と同じだけ経験的ならば、そのことは数学の結果も他の科学の結果と同じだけ誤りやすく、同じだけ偶然的であることを意味している。ミルの場合は経験的正当化は無媒介的になされたが、クワインの場合は間接的で、科学理論全体の整合性(エドワード・オズボーン・ウィルソンのいうところのコンシリエンス)を通してなされる。クワインが指摘するところでは、数学が完全に確実なようにみえるのは、数学が演じている役割が我々の信念の網の非常に中央にあるからであり、それを修正することは我々にとって不可能ではないまでもとてつもなく困難だからである。クワインとゲーデルのアプローチの欠点をそれぞれの面から克服しようと試みる数学の哲学については、ペネロプ・マディー (Penelope Maddy) の著書『数学における実在論』Realism in Mathematicsを参照せよ。
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