歴史と作品とは? わかりやすく解説

歴史と作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:51 UTC 版)

女人芸術」の記事における「歴史と作品」の解説

当時女性進出」に意欲持っていた女流作家で、姉御気質とも言われ長谷川時雨は、1928年7月後進発表の場開き婦人解放進めるため、女性書いて編集してデザインして出版する商業雑誌、『女人芸術』を発刊した。この資金には、時雨年下の夫で、彼女が人気大衆作家引き上げた三上於菟吉よるもの充てた。 創刊時は、発行長谷川時雨編集元島藤村書生当時新潮社勤めていたのを引き抜いた素川絹子印刷生田花世発行所牛込区左内町(現新宿区市谷左内町)の時雨宅内『女人芸術社』だった。のち編集時雨兼ね発行所赤坂檜町(現赤坂9丁目)へ引っ越した。城しづか(夏子)、堀江かど江、望月百合子八木あき小池みどり、川瀬美子らも参画した。元画家志望で、時雨の妹の画家春子知り合いだったことで参加した熱田優子もいた。 毎号赤字は、三上於菟吉補填した。 菊判150ページ前後定価文藝春秋と同じ40銭。読者投稿選考の上掲載した連載物として、時雨回想記日本橋』と林芙美子の『放浪記』などが記憶されるまた、各地支部作り名古屋矢田津世子広島大田洋子神戸高橋鈴子著名だった時雨各方面に顔が広く梨園の関係では元六代目五郎夫人寺島やす、森律子村田嘉久子なども、執筆はしないグループ加わっていた。 全48冊の総目次には、年齢順に、岡田八千代野上弥生子神近市子山川菊栄三宅やす子島本久恵富本一枝高群逸枝長谷川春子湯浅芳子尾崎翠野溝七生子中条百合子宮本百合子)、望月百合子真杉静枝大谷藤子戸田豊子、平林英子林芙美子中本たか子村山籌子窪川いね子(佐多稲子)、竹内てるよ平林たい子上田文子円地文子)、松田解子矢田津世子大田洋子若林つや、などの執筆陣の名が載っている。そして後期には、河上肇大塚金之助木村毅三木清野呂栄太郎小林多喜二など男性の名も見える(この雑誌足場世に出た人たちを、太字にした)。 1928年昭和3年7月創刊号には、評論山川菊栄フェミニズム検討」、神近市子婦人無産政党」、創作平林たい子「生活」、ささきふさ「遠近」、真杉静枝「ある妻」、長谷川時雨甘美媛」、翻訳松村みね子訳オフラハアテイ「野にいる牝豚」、八木さわ子訳ドオデエ「アルルの女」などの他に、短歌・詩・随筆など掲載初期小説・詩歌・随筆・評論などの文芸雑誌で、各界人気者番付恋愛座談会など娯楽記事まで載っているが、次第文芸は縮まり、左傾化して、ソヴィエト紹介労働運動農民運動国際問題記事読者の手記やルポルタージュ増えたアナーキスト系の望月百合子八木あきと、コミュニズム系の中島幸子論争行われ当時労働女塾」を開いていた帯刀貞代ところに逃げ込んだ吉原娼妓として話題になった松村喬子体験記掲載された。1930年5月号、同6月号は、発売禁止処分にされた。 昭和恐慌のさなかだった農村疲弊していた。安値低品質メイド・イン・ジャパン造る工場では、女子工員低賃金あえいでいた。ソヴィエト労働者楽園とするような言論は、貧困層耳に入りやすかった。『「女人芸術」はアカだ』、『買うと警察マークされる』など言われた。講演会では監視する警官がしばしば、『弁士中止』を叫んだ日本橋ブルジョワの家に生まれた時雨は、政治的に無色だったが、弱き助け江戸っ子で、雑誌左傾放任した。1929年に彼女の発案で『全女性進出行進曲』を募集し3回募集で2800通の応募があり、2等当選賞金百円採用され松田解子の詞は、1930年1月号で発表され、『起て! 燃えつゝ行け /闘ひのこの日ぞ /新たなる世をはらむ /世界の母われら』などと、勇ましかった時雨はこの編集後記で「奮え、諸氏よ。我々はこの歌を高唱して怯懦なる我を追い退けよう」と書いた。 1931年昭和6年)、10月号が発禁になった関東軍満州事変始めていた。そしてまた発行続けたが、翌1932年6月号を出して突然廃刊した。印刷会社への支払い滞り時雨腎盂炎悪化とが原因だった。 7月号は刷り上がっていたが、処分され残っていない。 その後長谷川雑誌『輝ク』を主宰し、輝ク会をつくって女性文化人結集はかった

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歴史と作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:59 UTC 版)

軍記物語」の記事における「歴史と作品」の解説

将門記』は平将門の、伯父平国香源護らとの争い935年承平5年))から死去までを、合戦記録として年代記記述しながら、表情豊かな文体によって『竹取物語』などの系譜物語として構成備え英雄的な人物像を描く軍記物語先駆け的存在となった藤原純友の乱題材とした『純友追討記』に続いて、1051〜62年前九年の役についての『陸奥話記』では乱の鎮定記録加えて口承説話取り入れて、後の軍記物語性質原型となった『今昔物語集』でも巻第二十五合戦武家にかかわる説話集めており、合戦情景武家人物像描き出すようになっている『保元物語』、『平治物語』では、源為朝源義平英雄的人物像として描きながら、貴族政治の中での武家位置付け歴史的変転表現するものとなっている。『平家物語』はこういった作品の性格受け継いで、また序章の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」以下に代表される詩的な表現物語支え理念により、英雄叙事詩的な性格を持つ優れた中世文学となった。そして琵琶法師による語り広く全国伝えられ同時に多く異本を生み、作品自体がさらに成長していくことにもなった。続く時代の『承久記』は、『保元物語』平治物語『平家物語』とともに四部合戦状とされる(『平家勘文録』)。 室町時代成立した『太平記』数十年にわたる南北朝の争乱時代描き40巻になる大部作品になっている『平家物語』の諸要素引き継ぎながら、楠木正成代表される武家社会らしい儒教的価値観含み、また次々と支配者入れ替わる下克上社会様相映し出している。同じ室町初期の『曽我物語』『義経記』は、軍記物語構成持ちながら、むしろ登場人物個人運命悲劇性焦点当てられ、独自の文学性展開した『太平記』以降後期軍記物語呼ばれるものとして、それぞれの年代事件記した明徳記』『応永記』『永享記』『嘉吉記』『応仁記』、地方での乱についての『大塔物語』『関東合戦記』『備中兵乱記』『越州軍記』『中国治乱記』『結城戦場物語』『国府台戦記』『船岡山戦記』『河中島過度合戦記』『笹子落草子』『中尾落草子』、特定の家や武将についての『北条記』『赤松記』『今川記』『嶋津家記』『宗像軍記』『大内義隆記』『謙信軍記』『佐久間軍記』『信長記』など、多数作られている。

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