円地文子とは? わかりやすく解説

えんち‐ふみこ〔ヱンチ‐〕【円地文子】


円地文子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 05:06 UTC 版)

円地 文子(えんち ふみこ、1905年明治38年)10月2日 - 1986年昭和61年)11月14日)は、日本小説家。本名:圓地 富美(えんち ふみ)。上田万年二女。戯曲から小説に転じ、『ひもじい月日』で文壇に地位を確立[1]。江戸末期の頽廃的な耽美文芸の影響を受け、抑圧された女の業や執念を描いて古典的妖艶美に到達。戦後の女流文壇の第一人者として高く評価された。『源氏物語』の現代語訳でも知られる[2]日本芸術院会員、文化功労者文化勲章受章者。


注釈

  1. ^ 母方の祖母村上琴が母鶴子名義で買っておいた家。
  2. ^ 北村喜八演出。友田恭介、山本安英村瀬幸子、滝蓮子出演。
  3. ^ 当時世間的には与四松のほうが有名だった[19]
  4. ^ 素子(2014年死去)の夫は、核物理学者・高エネルギー物理学研究所(KEK 現・高エネルギー加速器研究機構)名誉教授だった冨家和雄(1928-2005)。
  5. ^ 野口裕子『円地文子 人と文学』88頁(2010)によると、円地が書いていた「少女小説」とは、「厳正な意味での児童文学ではなく、『大衆小説少女版』とでも呼びたいものだった。」
  6. ^ 『ひもじい月日』刊行までに書かれたのは、「紫陽花」(1949年11月『小説山脈』掲載。後に「初花」と改題。『女坂』第一章の一)、「初花暦」(1952年11月『小説新潮』掲載。後に「青い葡萄」と改題。同第一章の二)、「彩婢抄」(1953年1月同誌掲載。同第一章の三)、「二十六夜の月」(1953年11月同誌掲載。同第二章の一)、「紫手絡」(1954年4月同誌掲載。同第二章の二)。
  7. ^ 戦前を含めて数えると第10回。
  8. ^ 翌年1月には上製本が刊行された。
  9. ^ なお、『妖』も候補の一つだった。
  10. ^ 選んだのは荒正人、亀井勝一郎、山本健吉。平野謙は「妖」を選んだ。
  11. ^ 創設以来の谷崎賞選考委員である円地は、これまでも自作への受賞を主張して反対に遭っていた。当該受賞に際して、選考委員の武田泰淳は選評をまるごと使って選考委員の受賞はあってはならないと非難した。ただし、野間文芸賞や読売文学賞などに幾らでも例があるように、選考委員自身がその賞に当選すること自体は珍しいことではない。
  12. ^ 他の5人は川端康成、丹羽文雄、井上靖、松本清張、三島由紀夫。

出典

  1. ^ 『円地文学における戯曲から小説への転換』.
  2. ^ 「文化勲章、女流作家の第一人者 円地文子さん死去」読売新聞1986年11月14日夕刊16頁、「女の業、妖美の文学 円地文子さん 執念の口述筆記 源氏口語訳に学者の血」同15頁、新潮社「円地文子」2021年3月1日アクセス。
  3. ^ a b c d e 『昭和文学全集 12』, p. 1069, 「円地文子 年譜」(和田知子編)。
  4. ^ 『現代文学大系 40』, pp. 496–497, 小松伸六「人と文学」、和田知子編「圓地文子年譜」同473頁、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 206
  5. ^ 古田東朔. "上田万年". 日本大百科全書. コトバンクより2023年10月2日閲覧
  6. ^ (『現代文学大系 40』, p. 499, 小松伸六「人と文学」)。引用文は円地文子『女を生きる』(講談社、1961)の孫引き。
  7. ^ a b 昭和文学全集 12』, p. 1050, 竹盛天雄「円地文子・人と作品」、『昭和文学全集 12』, p. 1070, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, pp. 209–210
  8. ^ a b 『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 206
  9. ^ 『現代文学大系 40』, p. 473, 和田知子編「圓地文子年譜」.
  10. ^ 平野宣紀監修『日本文学案内 近代篇』148頁(朝日出版社、1977)、『現代文学大系 40』, p. 499, 小松伸六「人と文学」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 206
  11. ^ a b 『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 207
  12. ^ a b 『現代文学大系 40』, p. 474, 和田知子編「圓地文子年譜」、『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 207
  13. ^ a b 宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 207
  14. ^ 板垣直子「円地文子」久松潜一他4名編『現代日本文学大事典』145頁(明治書院、1965)、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 207、『現代文学大系 40』, p. 474, 和田知子編「圓地文子年譜」。
  15. ^ a b 『現代文学大系 40』, p. 474, 和田知子編「圓地文子年譜」
  16. ^ 川崎至「円地文子」『万有百科大事典〔2版〕』1巻93頁(小学館、1976)、『昭和文学全集 12』, p. 1048, 竹盛天雄「円地文子・人と作品」、『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 207
  17. ^ a b 板垣直子「円地文子」久松潜一他4名編『現代日本文学大事典』145頁(明治書院、1965)。
  18. ^ 川崎至「円地文子」『万有百科大事典〔2版〕』1巻93頁(小学館、1976)、『現代文学大系 40』, p. 474, 和田知子編「圓地文子年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 207
  19. ^ 小谷野敦 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』182-183頁(幻冬舎、2007)。
  20. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」.
  21. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1048, 竹盛天雄「円地文子・人と作品」.
  22. ^ 『円地文学における戯曲から小説への転換』, p. 71、『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」。
  23. ^ 『円地文学における戯曲から小説への転換』, p. 71、『昭和文学全集 12』, pp. 1069–1970, 和田知子編「円地文子 年譜」。
  24. ^ 板垣直子「円地文子」久松潜一他4名編『現代日本文学大事典』145頁(明治書院、1965)、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 206、『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」。
  25. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 208
  26. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1069, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 208
  27. ^ 『現代文学大系 40』, p. 474, 和田知子編「圓地文子年譜」、『昭和文学全集 12』, p. 1048, 竹盛天雄「円地文子・人と作品」、野口裕子『円地文子 人と文学』84-86頁(2010)、和田知子編「円地文子 年譜」同1070頁、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, pp. 209–210。
  28. ^ 野口裕子『円地文子 人と文学』84頁、87-88頁(2010)。
  29. ^ 野口裕子『円地文子 人と文学』87-90頁(2010)、『現代文学大系 40』, p. 475, 和田知子編「圓地文子年譜」。
  30. ^ 『現代文学大系 40』, p. 475, 和田知子編「圓地文子年譜」、野口裕子『円地文子 人と文学』87頁以下(2010)、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 209
  31. ^ 野口裕子『円地文子 人と文学』92-95頁(2010)。
  32. ^ 野口裕子『円地文子 人と文学』95頁(2010)。
  33. ^ 『現代文学大系 40』, p. 476, 和田知子編「圓地文子年譜」、野口裕子『円地文子 人と文学』95頁(2010)。
  34. ^ 板垣直子「円地文子」久松潜一他4名編『現代日本文学大事典』146頁(明治書院、1965)、「文化勲章、女流作家の第一人者 円地文子さん死去」読売新聞1986年11月14日夕刊16頁、「女の業、妖美の文学 円地文子さん 執念の口述筆記 源氏口語訳に学者の血」同15頁、川崎至「円地文子」『万有百科大事典〔2版〕』1巻93頁(小学館、1976)。
  35. ^ 熊坂敦子「妖」国文学編集部編『日本の小説555』41頁(学燈社、1991)、『現代文学大系 40』, pp. 505–506, 小松伸六「人と文学」。
  36. ^ 磯田光一選「日本文学100選 現代」梅棹忠夫監修『THE日本』1057頁(講談社、1986)、『昭和文学全集 12』, pp. 1050–1051, 竹盛天雄「円地文子・人と作品」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, pp. 209–210、田中愛「円地文子『妖』論:「妖」なるものの解明をめざして」信州豊南女子短期大学紀要15号151頁(1998)。
  37. ^ 『現代文学大系 40』, pp. 505, 508, 小松伸六「人と文学」、「1957年 ベスト・スリー 旧人いぜん健在」読売新聞1957年12月26日夕刊4頁、野口裕子『円地文子 人と文学』103頁(2010)。
  38. ^ ジェスティコ (2000), p. 56.
  39. ^ 『現代文学大系 40』, p. 512, 小松伸六「人と文学」.
  40. ^ 『現代文学大系 40』, pp. 476–477, 和田知子編「圓地文子年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, pp. 209–210。
  41. ^ 『現代文学大系 40』, pp. 476–477, 和田知子編「圓地文子年譜」.
  42. ^ 宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 210。
  43. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1071, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 210。
  44. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1072, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 211
  45. ^ 宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 213。
  46. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1072, 和田知子編「円地文子 年譜」、宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 212。
  47. ^ 宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, pp. 211, 213。
  48. ^ 『現代文学大系 40』, p. 496-497, 小松伸六「人と文学」、和田知子編「圓地文子年譜」同474頁。
  49. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1072, 和田知子編「円地文子 年譜」.
  50. ^ 『昭和文学全集 12』, p. 1073, 和田知子編「円地文子 年譜」.
  51. ^ 田坂憲二 (2018), p. 8.
  52. ^ a b c d 『昭和文学全集 12』, p. 1074, 和田知子編「円地文子 年譜」
  53. ^ 宮内淳子編「年譜」『朱を奪うもの』, p. 214、『昭和文学全集 12』, p. 1074, 和田知子編「円地文子 年譜」。


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