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しょうわ-きょうこう せうわ―くわう 4 【昭和恐慌】
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昭和恐慌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 14:10 UTC 版)
昭和恐慌(しょうわきょうこう)は、1929年秋にアメリカ合衆国で起き、世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響が日本にもおよび、1930年(昭和5年)から翌1931年(昭和6年)にかけて日本経済を危機的な状況に陥れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌。
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注釈
- ^ 金解禁とは、通貨と金の兌換を自由にし、国際間の金の移動を自由にすること。
- ^ 大衆消費社会の到来は、T型フォードに代表される大衆車、家電製品、ラジオ・映画・レコードなど新しいメディア、ジャズ音楽やディズニー映画の流行、クレジットや通信販売の登場など、大量生産・大量消費を特徴とするアメリカ的な生活(American way of life)をもたらした。
- ^ 旧平価での解禁について、大内力は、井上の銀行家的資質が災いしたと指摘している。大内(1974)p.173
- ^ このことを評して大内力は「あたかも台風の最中に窓をあけひろげるような結果になってしまった」と述べている。大内(1974)p.174
- ^ 1931年9月の満洲事変の勃発後、イギリスが金本位制から離脱して日本も金輸出再禁止が時間の問題となると、今度は、資産の防衛を考えた人びとのなかで猛烈なドル買いがおこったため、金の流出はさらに加速した。大内(1974)pp.177-178
- ^ 欠食児童は全国で約20万人いたといわれる。中村(1989)p.67
- ^ 臨時産業合理局に勤務した経験をもつ人物に木戸幸一、岸信介がいる。
- ^ その一方で、これらの合理化はすべて労働者にしわ寄せされたため、労働運動は激化し、カルテルの容認も財閥優遇政策として労働者や中小企業者に負担を強いるものとして大衆の不満はいっそう増していった。大内(1974)pp.240-241。1930年には、温情主義経営を誇った鐘紡にも大規模な労働争議がおこり、東京市電や市バスのストライキ決行により、市民の足も麻痺した。長(2004)
- ^ ドル買いの動きを「国賊」「非国民」などとして批判したのは、当初は政府筋からはじめたことであった。このことについて、高橋亀吉が憤慨してドル買いは本来経済の自由に属すべきことのはずで、こうした手法がのちに右翼が何ごとにつけ「非国民」扱いするやり方につながったとして、井上準之助批判の文をのこしている。大内(1974)p.178
- ^ 日本がこのとき世界的に最もはやく経済回復を成し遂げた理由を、物価の下落と失業圧力によってコスト高と賃金高の要因を除去できたこと、および、金融恐慌によってすでに不良債権が処理されており、信用機構は健全だったことを挙げる見解がある。恐慌からの脱出
出典
- ^ 震災手形による悪化
- ^ a b c d e f g h i j 長(2004)
- ^ 恐慌からの脱出
- ^ a b 大内(1974)pp.170-172
- ^ a b 大内(1974)pp.163-170
- ^ a b 大内(1974)pp.172-175
- ^ a b 大内(1974)pp.176-179
- ^ a b c d 大内(1974)pp.183-184
- ^ a b c 中村(1989)pp.66-67
- ^ “朝鮮人移住対策ノ件”. 内閣. 国立公文書館アジア歴史資料センター (1934年10月30日). 2010年4月2日閲覧。
- ^ “朝鮮人移住対策ノ件”. 内閣. 国立国会図書館 (1934年10月30日). 2010年4月2日閲覧。
[続きの解説]
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