い‐あい〔ゐあひ〕【居合】
居合術
居合
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初伝 大森流(正座の部) 元は大森六郎左衛門の流であるが、林六太夫守政の計らいにより取り入れられた。大森流が「袈裟の一太刀」の精神に則っていること、時代を考慮に入れて正座を用い、初心者に覚えやすいことがその理由である。 一本目 初発刀(前)二本目 左刀(右)三本目 右刀(左)四本目 当刀(後)五本目 陰陽進退(八重垣)六本目 流刀(受流し)七本目 順刀(介錯)八本目 逆刀(附込)九本目 勢中刀(月影)十本目 虎乱刀(追風)十一本目 逆手陰陽進退(脛囲)十二本目 抜刀(抜打) 中伝 長谷川英信流(立膝の部) 本来、林崎甚助重信から伝わる本重信流と言うべきものであるが、後世の長谷川英信が優れた達人であったため、長谷川英信流と称されるに至った。 一本目 横雲二本目 虎一足三本目 稲妻四本目 浮雲五本目 山颪六本目 岩浪七本目 鱗返八本目 浪返九本目 滝落十本目 抜打 重信流 居業 :平成に入り「重信流」と呼ばれることが多くなった。 一本目 向払(霞)二本目 柄留(脛囲)三本目 向詰四本目 両詰(一)戸脇(二)戸詰五本目 三角六本目 四角(四方斬)七本目 棚下八本目 虎走九本目 暇乞(1)十本目 暇乞(2)十一本目 暇乞(3) ※ 業の名称、本数および並び順については、師伝により異なるものがある。 奥居合 立業 一本目 人中(壁添)二本目 行連三本目 連達四本目 行違五本目 夜の敵(信夫)六本目 五方斬(惣捲)七本目 放打(総留)八本目 賢の事(袖摺返)九本目 隠れ捨(門入)十本目 受流 ※ 業の名称、本数および並び順については、師伝により異なるものがある。
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居合
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1919年(大正8年)、高知の細川義昌に入門して無双神伝英信流抜刀術(居合)を学ぶ。同門には中山博道がいた。1923年(大正12年)、細川から免許皆伝を授かった。無双神伝抜刀術兵法17代目を継承し、1949年(昭和24年)7月25日、尾形郷一貫心に18代宗家を紹統允可した。
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居合
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現在英信流として行なわれている形を以下に示す。 大日本抜刀法(大日本抜刀流、英信流抜刀法とも) 十一本(河野百錬によって組み立てられた型であるため、河野百錬流とも呼ばれることもある。本来は九本であるが、後に福井虎雄が行いやすいようにと、河野より許可を得て順刀と四方刀の二本を2種に再編した) 順刀 一順刀 二追撃刀斜刀四方刀 一四方刀 二斬突刀前敵逆刀多敵刀後敵逆刀後敵抜打 正座之部 十一本(古伝によると、9代林六太夫守政の剣術の師だという大森六左衛門なる人物が組み立てたものであるため大森流と呼ばれる。また、一説には大森六左衛門は長谷川英信の弟子であったが破門されたともいわれる。林六太夫守政の計らいにより、荒井清哲からの許可を得て併伝されたという) 前右左後八重垣受流介錯附込月影追風抜打 立膝之部 十本(古伝では流祖長谷川英信によって組み立てられたものであるため、これを英信流という。本来は林崎流とも呼ばれたものだが、英信によって再編されたという) 横雲虎一足稲妻浮雲颪岩波鱗返浪返滝落真向 奥居合 居業之部 八本(古伝では立業も含めて、始祖である林崎甚助によって伝えられたものであることから林崎流と呼ぶ。あるいは抜刀心持ノ事とも) 霞脛囲戸詰戸脇四方切棚下両詰虎走 奥居合 立業之部 十本(居業と同様、これも林崎流、あるいは抜刀心持ノ事と呼ばれる。十本目の受流は大江によって組み込まれたものだとされるが、他の兄弟弟子の系統でも見られることから実際には師である五藤正亮による編纂ではないかともいわれている) 行連連達惣捲惣留信夫行違袖摺返門入壁添受流暇乞 三本 番外之部 四本(奥居合の業を組み合わせて作られた型。大江正路創案) 速浪雷電迅雷四方切<邪気祓い> 早抜き(基本的に立膝之部を連続で抜くもの。効率よく鍛錬できるよう大江創案による稽古法で、道場以外の公の場での演武は行わないようにと大江自身の口伝が残されている。この早抜きのみ十本全てを抜いて一本と数える) 横雲虎一足稲妻浮雲颪鱗返岩波浪返瀧落受流 上記は大江自身によって組み立てられた早抜きであるが、系統によって順序や行う形が違う場合が多い。最も多く見られるのは福井虎雄創案による片手真向が最後となる行い方で、他にも単純に立膝之部を連続で行うものなど、様々である。道場によっては早抜きを継承していない場合もある。早抜きは古伝ではないため下村派には存在しないが、大江系の居合を学び早抜きを取り入れている下村派系統もある。 組太刀 居合道形 七本(大江正路制定の型。古伝の太刀打之位を再編したものであるため、これをもって太刀打之位とする) 出合拳取絶妙剣独妙剣鍔留請流真方 詰合之位 十一本(元々は信州に伝わった九ノ腰の一つ。土佐に伝わった際に体系化された) 八相拳取岩浪八重垣鱗返位弛燕返眼関落水月刀霞剣討込 古伝 大森流 十一本(大江は「正座の部」と改称、形の名称も変更) 英信流表 十本(大江は「立膝の部」と改称) 太刀打之位 十本(剣術の組太刀。大江は七本に改変) 詰合 十一本(相手を付けての居合の形。下村派では十本) 大小詰 八本(座った状態での帯刀柔術) 大小立詰 七本(立った状態での帯刀柔術) 小太刀之位 六本(小太刀による組太刀) 英信流奥(奥居合) 二十本(抜刀心持ノ事とも林崎流とも呼ばれる。二十本より多い系統もある。現在谷村派では二十一本) 大剣取 十本(組太刀、幕末に失伝したと思われる) 現在では、一部の系統を除いて詰合、大小(立)詰の形は継承されていない事が多い。大剣取、小太刀の技は幕末に失伝したと言われていたが、少なくとも15代、16代までは教伝されており、棒術も稽古されていたようである。17代大江正路よりこれらの奥伝を受け継ぐことができなかったと考えられるが、継承しながらも伝えなかったともいわれる。これらは剣術の組太刀であったと思われ、さらに古伝においては以下の業目録も存在していた。 寝間之大事 六本 外物之大事 六本 上意之大事 十四本 極意之大事(心得のこと) 二十二本 軍馬組討 四本 大江正路の門下の幾つかの系統(山本晴介、政岡壹實、三谷義里等の師範の系統)では、土佐に残った多くの伝書の研究、大江の兄弟弟子である16代の門弟や下村派の師範などから学び、組太刀の各形を受け継いだ、あるいは復元した系統もある。下村派には、大小(立)詰までは現存している。戦後においては20代河野百錬がかつての大江門弟たちと同様、こうした大小(立)詰や大剣取の研究を行った。また、現行での独演の業にも多数の替え業が存在しており、たった一本の業であってもいくつもの異なる想定で業が行なわれていた。現在、これらは山内派として纏められ習伝されている。
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居合
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「小説ウィザードリィII 風よ。龍に届いているか」の記事における「居合」の解説
「気」を制御する侍を職業とする者が使う奥義ともいえる技。自らが発する「気」を刀の切先の一点に集中させ、本来の間合いより長い距離から実体のない「気」の斬撃を放つ。堅固な鎧に身を包んだ相手であっても、「気」の斬撃は鎧を透過して相手の肉体を切断する。受け流すことは不可能な攻撃であり、この「気」の斬撃から防御するには回避するしかないといわれる。
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居合
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「小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春」の記事における「居合」の解説
「気」を制御する侍を職業とする者が使う奥義ともいえる技。自らが発する「気」を刀の切先の一点に集中させ、本来の間合いより長い距離から実体のない「気」の斬撃を放つ。堅固な鎧に身を包んだ相手であっても、「気」の斬撃は鎧を透過して相手の肉体を切断する。受け流すことは不可能な攻撃であり、この「気」の斬撃から防御するには回避するしかないといわれる。素質のある侍であれば経験が浅くとも居合を繰り出すことができる。
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居合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:02 UTC 版)
博道が居合を志したのは、一説に後援者・渋沢栄一の居合に触発されたからといわれる。また、博道を慶應義塾剣道師範に任じた福澤諭吉も居合の達人であった。明治時代末期、「高知県(旧土佐国)に神伝重信流という一世唯一伝授が掟の居合が伝わっていると板垣退助と言っていた」と聞いた博道は、土佐藩出身の政治家で、無双直伝英信流第15代宗家・谷村亀之丞自雄の親族でもある板垣退助を訪ね、その口利きで、神伝重信流(神伝重信流下村派)の細川義昌に入門し、細川から免許を允可された。 博道は居合道界の傾向について、「居合自体は一術と雖も対者を予想しない形はないが、普通に於いては一人術の如く主客共に自然に思いがちであり、術も簡単である様考えられ、そこに安易感が生じ、只抜き切り差し納めが練れて三、四十本の本数を覚えた程度で、これが居合だとする考え方が多く、しかも一人での修行のため、優劣というか勝敗を目的にしていないいわゆる競争的刺激がない故、一寸ばかり慣れてくると、はや一角の器用者然として己れの刀法をと慢じないまでも、其れに近い考えになる傾きが非常に多い」と述べ、居合修行者が陥りやすい自己満足を戒めている。
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居合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:21 UTC 版)
神道無念流の居合の特徴は「立居合」という名称の通り、座った状態で行う業は無く立った状態の業のみである。また、他の居合流派に多い横一文字の抜き付けは稀で、肘を狙った逆袈裟の抜き付けが多い。
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居合
「居合」の例文・使い方・用例・文例
- 彼女は居合わせた人すべてを魅了した
- 私はパーティーに居合わせた人をみんな知っているわけではない
- 彼の無作法なふるまいに居合わせたみんながあきれた。
- 私が言ったことでその場に居合わせた皆が笑った。
- 居合道の練習のため
- そこに居合わせたみんながパニックになった
- 彼女が電話してきたときに、私はたまたま居合わせた。
- 警官がその事故の現場に居合わせた。
- 居合わせた人達はその報告にがっかりした。
- 居合わせた人々は皆感動の余りないた。
- 居合わせた人々はその知らせに驚いた。
- 居合わせた人はその報告にがっかりした。
- たまたま彼女の部屋に居合わせたんだ。
- たまたま彼らはその場に居合わせなかった。
- その場に居合わせた人は多くはなかった。
- その場に居合わせた者は皆、かすかな後光に照らされる学部長に視線を向けた。
- その場には誰も居合わせなかった。
- その車が男の子を撥ねた時、ちょうど居合わせた。
- そこに居合わせないで本当によかった。
- そこに居合わせなくて本当によかった.
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