Char 来歴

Char

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 01:07 UTC 版)

来歴

耳鼻咽喉科眼科の開業医を母に持つ[1]。7歳でピアノを習い始め、兄の影響から8歳でギターを手にする。本人曰く18歳までピアノを継続し、将来は音楽大学を志望していたとのこと。

ザ・ベンチャーズエリック・クラプトンジェフ・ベックジミ・ヘンドリックスなどから影響を受ける。日々ピアノよりもギターに没頭するのを心配した父親が、Charの部屋に入って「お前は将来何になりたいんだ」と問い詰めたところ、Charは「これ」と壁に貼ってあるジミ・ヘンドリックスのポスターを指差したというエピソードがある。

アマチュア時代

11歳から13歳の時期に同級生の新川博らと『FOX』結成。ヤードバーズドアーズローリング・ストーンズ等をレパートリーとしていた。14歳で『JAH(ヤッハ)』結成。3ピースバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名した。ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとし、バンド・コンテスト等にも出場した。この時期に早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、「生ギターでフォークみたいのやらない?」という内容だったために断る。

16歳時に『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場し、オリジナル曲を演奏した結果、地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、グランド・ファンク・レイルロード等をレパートリーとしていた。

1971年に、スタジオ・ミュージシャンとしての初仕事をこなす。レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、エリック・クラプトンなどの曲を収めるものだった。当時のスタジオ・ミュージシャンはジャズ系スタイルのプレイヤーが多く、ロック系ギタリストは少数だったため、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だった。この時のエピソードとして、当時のレコーディング・エンジニア達はロック・エレクトリック・ギター歪みフィードバック奏法を認識しておらず、戸惑ったと回想している。

17歳で『Shock』結成。別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングにも依頼され、並行して同バンドにも参加。『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散する。

1973年スモーキー・メディスンを結成。

『Shock』『Bad Scene』にて日比谷野外音楽堂でライブをしていた頃、金子マリも別のバンドで同じステージに立っていた。ある日、街中で出会い連絡先を交換した。

『Bad Scene』解散後、同バンドのベーシスト鳴瀬喜博、『Shock』の佐藤準藤井章司と共に新たなバンドの構想を練る最中、金子マリから『バックコーラスでもいいから参加したい』との電話連絡を受け迎え入れた。同年8月には合歓の郷で合宿を行い本格的な活動準備に入る。

Charは、当時エレックレコード所属アーティストのレコーディングにも参加していたため、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングもされていた(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:キングレコード / 1974年リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディング・エンジニアから『どうしてもバンドの音を残したい』と依頼され、夜中にスタジオ入りし、朝方にデモテープが完成した。後日、そのデモテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、鳴瀬以外は高校生だったが、演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、内田裕也の耳にも入る。当時、Charは客としてチケットを購入して見に行く予定だったとも言われている内田プロデュースのイベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:西武劇場)にサディスティック・ミカ・バンドが出演予定だったが、同バンドは海外公演が決定したため出演をキャンセルし、その空席にスモーキー・メディスンは抜擢された。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにもかかわらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。共にその演奏力、新鮮さを好評価されていた。

以降は様々なロックイベントに出演した。当時日本最大のロックフェスティバルと呼ばれた郡山ワンステップフェスティバル1974にも出演が決まっていたが、その直前にスモーキー・メディスンは解散した。解散理由は音楽的指向性の他にも諸説あるといわれている。

解散後のCharはフォーク系グループのレコーディングやライブでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが『Mad Brothers』(jazz/fusion系)、『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動。

プロデビュー後

1976年6月キャニオン・レコード / SEE SAWからシングル「NAVY BLUE」でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。1977年6月リリース「気絶するほど悩ましい」は、外部の作詞(阿久悠)、作曲(梅垣達志)で自身のロック指向と異なる『歌謡ロック』路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。1978年には「逆光線」「闘牛士」とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト原田真二と共に『ロック御三家』と呼ばれる[2]

他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だったよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけさ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったよね」と当時のインタビューで述べている[2]。アイドル性を狙うもバンドにルックスの悪いメンバーがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという[2]

この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡したピンク・レディーの想像を絶する忙しさと、五木ひろし新沼謙治といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。

1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にてゴダイゴと共に楽曲の半分にて共演。リリース後に行われたゴダイゴとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。

同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。TBSの時代劇特番『雲を翔びこせ(渋沢栄一伝)』にて主人公の渋沢栄一西田敏行)の嫁、千代(池上季実子)の兄、長七郎役を演じる。

同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なロックバンド結成を構想。

Yellow~金子マリ&バックスバニーのジョニー吉長、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等のルイズルイス加部と共に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」を結成。活動準備のため、合歓の郷で合宿。

1978年秋発売の「BLUE CHRISTMAS」は東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌となったが、6thシングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にChar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたサウンドトラックとして構成)も同時発売される異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。

その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられたため、活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとなる。同時期に予定されていたTour「JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート」も中止となる。

1979年カルメン・マキの支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。

同年に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動。7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にもかかわらず全国からファンが殺到。日比谷野外音楽堂の動員記録を樹立する(当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)。

1980年5月『Trycycle』、1981年『OiRA』を発表。

所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を「ピンククラウド」と改名。バップに所属。1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、1983年11月『PINK CLOUD』、1984年11月『PLANT BLEND』を発表。レコード会社との契約に『バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す』と言う条件があり、この時期は精力的な活動期間でもあった。この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。ジョニー吉長のソロ・アルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなりCharのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。

1985年、ピンククラウドは2度目のレコード会社を移籍。東芝EMIに所属。7月、日比谷野外音楽堂で、観客を入れず収録したミニ・アルバムを発表。この頃、単身渡英、半年を過ごす。ピンククラウドとしてのバンド活動は年間でも数回となる。

1986年3月 忌野清志郎とアニメ県立地球防衛軍のサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行った。

一度目のレーベル立ち上げ

1988年 - 1997年 電話通販専門のインディーズレーベル「江戸屋Record」を運営。1988年6月、ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久々のLIVEを行う。会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表。以後ピンククラウドとしての活動と並行し新たなユニットでの活動も始める。

1991年にはイベントがきっかけで組まれた石田長生とのアコースティック・デュオ「BAHO」(馬呆)名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが、活動を続けた。

1992年4月、『PSYCHEDELIX』を発表。これは『PSYCHE』発売時の1988年、ソロ・ライブを行う際に佐藤準アン・ルイスジム・コープリージャズ・ロッホリー、と組まれた『Char & THE PSYCHEDELIX』が元となったバンドである。フル・アルバム3枚を発表。

1994年、PINK CLOUD、JOHNNY, LOUIS & CHARが解散。

1995年、PSYCHEDELIXの3枚目フル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。PSYCHEDELIXはCharとジムのユニットとなり、ベースは途中からCharが演奏している。

1996年、PSYCHEDELIXとしてミニ・アルバム『Smoky』を発表。

1998年、Char自身もレコード会社をポリドール・レコードに移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。

二度目のレーベル立ち上げ

2010年、ネット販売専門の新レーベルZiccaを立ち上げ、自身のルーツをアレンジし収録したTRADROCKシリーズとして『Eric』『Jeff』『The B』『The V』『Jimmy』『Jimi』『Char By Char』を発表した。

それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで奥田民生山崎まさよしとの『3人の侍』(Samurai‐3)がある。

2011年RSRでは斉藤和義も加わり、『4人の侍』として登場した。

2023年5月には桑田佳祐からのオファーを受け「時代遅れのRock'n'Roll Band」のレコーディングに佐野元春世良公則野口五郎と共に参加した[3]。同年12月31日には同曲で『第73回NHK紅白歌合戦』に出場した[4]


注釈

  1. ^ この件については2008年6月3日に放送されたTV音楽番組THE M』(日本テレビ系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問
    石井:「米米には合わないかな?」
    Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」
    そして歌メロの~WOW WOW~はCharアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。

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