駿河台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 03:44 UTC 版)
地名の由来
江戸時代初期に、駿府(駿河府中、現・静岡市葵区付近)から江戸(東京都区部)に移住した徳川家康の家臣が居を構えたことに由来する。
最寄り駅
- 御茶ノ水駅 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)中央線(快速)・中央・総武線(各駅停車)、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線
- 新御茶ノ水駅 - 東京メトロ千代田線
- 神田駅 - JR東日本山手線・京浜東北線・中央線(快速)、東京メトロ銀座線
- 神保町駅 - 都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線
出身者
- 池野成一郎 - 植物学者。
- 岩永裕吉 - 通信事業経営者。
- 内井昭蔵 - 建築家。
- 小栗忠順 - 幕臣。
- 亀井万喜子 - 実業家。
- 五島昇 - 実業家。
- 島津保次郎 - 映画監督。
- 鈴木重嶺 - 旗本。
- 滝川具挙 - 旗本。
- 野口保興 - 地理学者。
- 平賀敏 - 実業家。
- 村井多嘉子 - 料理研究家。
各地の駿河台
東京都の「駿河台」の由来になった駿河国は現在の静岡県の中部にあたり、静岡市駿河区の登呂遺跡付近に、「駿河台」という住宅街がある。
静岡市以外にも、富士市や藤枝市、沼津市の郊外に、同じく「駿河台」という住宅街がある。
脚注
参考文献
- 辞事典
- 小学館『デジタル大辞泉』. “駿河台”. コトバンク. 2021年3月8日閲覧。
- 平凡社『百科事典マイペディア』. “駿河台”. コトバンク. 2021年3月8日閲覧。
- 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版. “駿河台”. コトバンク. 2021年3月8日閲覧。
- 沢田清、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “駿河台”. コトバンク. 2021年3月8日閲覧。
- 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “駿河台”. コトバンク. 2021年3月8日閲覧。
- 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “神田駿河台”. コトバンク. 2021年3月8日閲覧。
- 書籍、ムック
- 石橋湛山『湛山回想』岩波書店〈岩波文庫 青168-2〉、1985年11月18日 。ASIN B000J6QQDK、ISBN 4-00-331682-7、ISBN 978-4-00-331682-5、OCLC 674500354。
- 雑誌、パンフレット、論文等
- “J-BECレポート 2013 vol.8” (PDF). J-BECレポート (一般財団法人橋梁調査会) Vol.8: 1-36. (2013) .
- “緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012” (PDF). 緑と水のひろば (公益財団法人東京都公園協会) No.68: 1-30. (2012) .
- “地下鉄の駅名に見る江戸のなごり(その2)” (PDF). SUBWAY 日本地下鉄協会報 (社団法人日本地下鉄協会) 第194号: 1-68. (2012-08-31) .
- インターネット資料
- 河岡潮風 (1909年3月). 博文館: “東都游学学校評判記”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 国立国会図書館. 2021年3月8日閲覧。
- 榛名譲 (1933年). 日本公論社: “大学評判記”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 国立国会図書館. 2021年3月8日閲覧。
- 大居候(フリーライター)「御茶ノ水駅周辺が「渓谷みたいな地形」になっているワケ」『アーバン ライフ メトロ (URBAN LIFE METRO)』株式会社メトロアドエージェンシー、2021年3月7日。2021年3月9日閲覧。
関連項目
注釈
- ^ 隣接する神田小川町三丁目から三省堂書店神田本店にかけての界隈は、駿河台の高台から下ってきた所に当たるため「駿河台下」と呼ばれる。
- ^ 専修学校(専修大学の前身)は1880年に京橋で、明治法律学校(明治大学の前身)は1881年に有楽町で、英吉利法律学校(中央大学の前身)は1885年に神田錦町で、日本法律学校(日本大学の前身)は1889年に飯田町で開校した。
- ^ 東京高等商工学校は大学ではない。また、埼玉工業大学と駿河台との間に直接のつながりはない。
- ^ 1880年9月に駿河台北甲賀町で開校した東京法学社(法政大学の前身校のひとつ)は同年12月に神田区神田錦町に移転した。
- ^ 「法政大学」と改称した後は駿河台に校舎を構えたことはない。
- ^ 日本法律学校が駿河台に校舎を構えたことはない。
- ^ 中央大学は1926年(大正15年)まで錦町にあった[11]。
出典
- ^ a b kb-Brit.
- ^ 千代田区 町名由来板 (2014).
- ^ 第五章 神田川山脈「御茶ノ水の茗渓」 (PDF) (川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 pp. 80-83)[リンク切れ]
- ^ 首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」(宮城県)[リンク切れ]
- ^ 『SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号』 (2012), p. 48-50.
- ^ 『J-BECレポート 2013 Vol.8』 (2013), p. 33.
- ^ 『緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012』 (2012).
- ^ a b 河岡 1909, p. 127(86/209コマ), 所謂私立大学の現状は、決して多大の尊敬を、払はれて居らぬと言ふ一事である。
- ^ a b 石橋 1985, p. 89, 私学出のものが、そのころの日本で、いかに冷遇されたかは、今日の私立大学の卒業生には、たぶん想像もできないことであろう。
- ^ 河岡 1909, p. 141(94/209コマ), 砲兵工廠の煤煙なびく、神田三崎町一番地=名も堂々たる日本大学は、その一隅にチヨツピリと置かれたるペンキ塗の建造物である。.
- ^ “中央大学のあゆみ”. 中央大学. 2020年8月14日閲覧。
- ^ 榛名 1933, p. 93(53/160コマ), 教授連の顔ぶれも、近頃でこそ新大学令によつて専任教授も置かねばならず、従って母校出身の新進学徒が相当勢威を張るやうになつて来たが、昔は帝大法学部教授連の出張所であり、判検事や弁護士試験委員の内職稼ぎのお顧客先きであつたものだ。.
- ^ “沿革 < (公財)総評会館について”. 連合会館. 公益財団法人総評会館. 2021年3月8日閲覧。
- ^ “東京YWCA会館”. officetar.jp. 株式会社スリースター. 2021年3月8日閲覧。
駿河台と同じ種類の言葉
- 駿河台のページへのリンク