連合軍軍政期 (朝鮮史)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 06:32 UTC 版)
第二次世界大戦の終結と戦後処理
朝鮮は1910年から朝鮮総督府が統治する日本領朝鮮となる一方、一部の朝鮮人が朝鮮独立運動を行っていた。これに対し、当時の国際社会は日韓併合条約による韓国併合を承認する一方、一部の国々は独立運動団体・関係者への支援・取り込み工作を行っていた。その為、1941年に大日本帝国が第二次世界大戦(太平洋戦域)へ参戦する時点で、中華民国(国民政府)は大韓民国臨時政府・光復軍を財政・人的に後援し、ソビエト連邦は元東北抗日聯軍の朝鮮人将兵を取り込んで日本との戦闘を想定した民族旅団を編成していた。
大戦の戦局が連合国側の優勢となった1943年、連合国の米・英・中華首脳は対日方針を協議するためにエジプトのカイロでカイロ会談を開き、会談後に発表したカイロ宣言で「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈(やが)テ自由且独立ノモノタラシムル」ことを宣言した[3]。1945年2月、ヤルタ会談で米・英・ソ連首脳はソ連対日参戦に関する極東密約(ヤルタ協定)を締結し、その中で戦後朝鮮を当面の間連合国四ヶ国(米・英・華・ソ)による信託統治下に置くことを取り決めた[4]。その概要は京城府を除く中部西側および南東部はアメリカ、済州島を含む南西部はイギリス、北西部は中華民国、鬱陵島を含む中部東側と北東部はソ連がそれぞれ分割統治し、京城府はアメリカとソ連が共同統治するというものであった[5]。
1945年8月9日、ヤルタ協定に基づいてソ連は対日参戦を行い満洲国及び朝鮮・咸鏡北道へ侵攻を開始する。8月14日に日本政府はポツダム宣言を受諾し降伏する旨を連合国側に通告するが、ソ連の侵攻は9月2日に日本が正式に降伏するまで続き、満州(現中国東北部)・南樺太・千島列島及び朝鮮半島の北緯38度線以北(北朝鮮)を占領するに至った。
8月13日、アメリカの駐モスクワ特使ポーリ(Pauley)と駐ソ大使ハリマンは、ソ連が朝鮮半島に野心を持っていることを理由に、朝鮮及び満州の速やかな占領をトルーマン大統領に建議した。しかし、8月14日に日本政府からポツダム宣言受諾の通告を受けた時点で、既にソ連は満州と朝鮮北部に進駐を開始しており、主力がフィリピンにあるアメリカ軍を両地域へ即時投入することは非現実的との理由から、この提案は黙殺された。ただし、朝鮮半島をうやむやのうちにソ連に占領されるのを防ぐため、国務・陸軍・海軍調整委員会のディーン・ラスクとチャールズ・H・ボーンスティール3世は「北緯38度線で米ソの占領地域を分割する」という案を策定し、8月14日にトルーマン大統領の承認を受けた。この案はソ連に提示され、8月16日に同意の返答を受けた。
8月17日には一般命令第一号によって『38度線以北の日本軍(朝鮮軍)は赤軍(ソ連軍)に、以南はアメリカ軍に降伏する』ことが決定された。この命令はポツダム宣言を受諾した日本に伝達され、9月2日の降伏文書調印後に大本営によってこの方針が指令された。アメリカ軍は8月25日から朝鮮半島の北緯38度線以南(南朝鮮)への進駐を開始し、9月9日に京城府で朝鮮総督府から降伏文書に署名[2] を受けた。
- ^ a b c 今日の歴史(9月7日) 聯合ニュース 2009/09/07
- ^ a b 今日の歴史(9月9日) 聯合ニュース 2009/09/09
- ^ カイロ宣言(国立国会図書館のホームページより)
- ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、4頁。
- ^ 『地図で読むビジュアル日本史』(2011年8月10日、日本文芸社発行)p160『米英中露4ヶ国による日本分割統治構想』より。
- ^ 朝鮮人民共和国
- ^ 当時、南朝鮮では韓国政府の存立で正式な代議員選挙が実施できなかったため、南朝鮮単独の国家樹立に反発する人々によって秘密裏に各地の人民代表が選出され、彼らが越北して最高人民会議代議員の選挙を実施した。(『金日成主席革命活動史』第6節 朝鮮民主主義人民共和国の創建。国の政治的・経済的・軍事的威力を強化)
- ^ “【반세기 전엔…】동아일보로 본 7월 둘째주”. 東亜日報 (東亜日報). (2004年7月4日) 2010年5月31日閲覧。
- ^ 今日の歴史(12月6日) 聨合ニュース 2008/12/06
- ^ USAMGIK Ordinance 33
- ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、7-8頁。
- ^ 今日の歴史(1月7日) 聯合ニュース 2009/01/07
- ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、8頁。
- ^ 南朝鮮労働党を始めとする左翼系団体の指導者については、米軍政庁の取締りで地下に潜行していたため会談が不可能だった。
- ^ 総選挙に反対の意思を示していたソ連軍政と北朝鮮人民委員会は国連朝鮮委員団の来訪を拒否したため、委員団は北朝鮮での任務遂行が不可能だった。
- ^ 今日の歴史(3月12日) 聯合ニュース 2009/03/12
- ^ Stueck, William. The Korean War in world history. Univ Pr of Kentucky. p. 38. ISBN 0813123062
- ^ 国定教科書の「1948年建国」は抗日・臨時政府の否定(ハンギョレ2015年11月09日付記事)
- 1 連合軍軍政期 (朝鮮史)とは
- 2 連合軍軍政期 (朝鮮史)の概要
- 3 第二次世界大戦の終結と戦後処理
- 4 「解放(光復)」と連合国の「朝鮮即時独立」否定
- 5 関連項目
- 連合軍軍政期 (朝鮮史)のページへのリンク